2008-01-01から1年間の記事一覧

オヤジ度検定テスト

私が考案した簡単な「オヤジ度検定テスト」(男性中心主義をどれだけ内面化しているかの測定方法)をご紹介します。1.「立てられなくても男は立つか」と言ってみる 若者にとっては「寒い」このおやじギャグに笑う人は、相当重症のマッチョです。 2.「男…

100番目の記事

いつの間にか、100番目の記事になりました。 ブログ創設から1年で、1日の平均アクセス数も20を超えました。どんな人が読んでくださっているのかわかりませんが、定期的に覗いてくださっている方には感謝しています。私は、「連帯を求めて孤立を恐れず」「わ…

<侠育>としての創価教育

「角川新字源―改訂版」(角川書店、1994年)では、「侠」という漢字は、「人と、音符・夾(たのむ意)とから成り、自分の力をたのみにして人に協力する人、『おとこだて』の意を表す。」とあります(p62)。「侠」は、神仏儒の宗教伝統にはない概念ですが、…

ひとりで生きる現実は夢

「ふたりで見る夢は現実」(オノ・ヨーコ) だとすれば、「ひとりで生きる現実は夢」でしょう。 自分ではない誰か。 目の前にいて自分を見つめてくれる誰か。 自分がいなくなってもその場に在りつづけ、自分と同じように世界を眺め語り死んでいくであろうそ…

女侠とゴス文化

1970年代の東映映画「緋牡丹博徒」(藤純子主演)シリーズの流れはどうなったかと思っていたら、現在のゴシック文化と相性がいいようです。ALI PROJECT「勇侠青春謳」http://jp.youtube.com/watch?v=bUO_3ZthUM0

或る旅人の日記

ネット上で、優れたアニメ作品を見ました。http://jp.shockwave.com/animations/drama/tabibito/癒されるファンタジーです。

現代日本の若者と「自分」

今年、授業で「DVとは、親密な領域において相手の個的領域を奪うことである」という宮地尚子さんによるDVの定義を紹介して、学生に「あなたにとって恋人に奪われたくない個的領域は何か?」という小レポートを書かせてみました。もちろん、「束縛されていな…

研究会の案内

研究会の案内をさせていただきます。 宗教(特に新宗教)は、日本のジェンダー研究では無視されがちですが(ちなみに、上野千鶴子さんは若い頃キリスト教徒でした)、それだけに辺境革命の発信地になる可能性を秘めています。 「民衆宗教」研究会のご案内 場…

「人間力」の自己目的化

「朝日新聞」8月8日号、夕刊コラム「素粒子」より引用 「期末の成績が親に分かると自分も怒った親も嫌な思いをする。その前に家族全員を殺して自殺」と父親刺殺の中3少女。 「不快」を避ける価値観、蔓延。「人に合わせ、人から嫌われないように生きてい…

日本の官僚の実態

衆議院議員の河野太郎さんのメルマガを転載します。 日本には、「政治家はとにかく官僚は信用できる」と思っている人がまだまだいると思いますが、実態はこの程度です。 ごまめの歯ぎしり メールマガジン版 衆議院議員河野太郎の国会日記 ==================…

暴動の時代へ?

日本のマスゴミ(2ちゃんねる風)はバカだから、いつの時代も変わらず起きている無差別(本当は抵抗できない弱者をターゲットとして「選択」しているのですが)殺人事件のことばかり書くのですが、後世の歴史学者は、ホームレスたちがとうとう暴動を起こし…

避難所としてのビジュアル系

雨宮 高校時代に、私は完全に症状をこじらせてしまって、普通の人間関係が築けなくなってしまいまし た。普通の友達は、裏切られるのが怖くてつくれない。唯一つくれたのはやっぱり追っかけ友達です。 自分と同じような境遇の子が多かったので。 いまもそう…

民衆的正義感としての「侠気」

(前略)とはいえ、原始任侠道についての文献的資料といったものがあるわけではない。それは、江戸時代の初期・中期の男伊達の物語やら、近くは長谷川伸の小説やらを手がかりにして想像されるものであるにすぎない。 しかしながら、それは、たしかにあったは…

かもめ食堂―「男らしい国家」からの逃走

荻上直子監督の映画「かもめ食堂」(2006年)が佳作だったので、群ようこの原作「かもめ食堂」(幻冬舎、2006年)も読みました。本の帯には、以下のようにあります。 毎日ふつうで、おいしくて、小さいけれど堂々としていました。 ヘルシンキの街角にある「…

天使のたまご―個人化された社会における重要な他者

中澤英雄さんは、カフカの思想を「神話的要素を抜き去ったグノーシス主義」として分析しています。 押井守監督の傑作OVA「天使のたまご」も、同様に分析することができると思います。http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Kafka/nazo1.htmより転載 ハン…

現代日本の宗教文化と「カフカ的なるもの」

現代日本におけるニヒリズムについて。 東京大学の島薗進氏は、現代日本の宗教状況について、「軽薄なまでの明るさの追求とグノーシス主義的なニヒリズムが共存している」という大局観をお持ちだと思います。間違いではないと思いますし、グノーシス主義に対…

ゴス・カルチャーとグノーシス主義

http://ameblo.jp/le-corps-sans-organes/entry-10040625272.htmlより引用 ゴス・カルチャーは、死を意識した生の文化ではないか。暗黒というよりは、暗黒を意識しているがゆえに燃え上がる炎の文化。言うなれば、グノーシス主義的思考のヴァリエーションで…

怖い人形の写真

たまには、堅い話は抜きにして、怖い人形の写真を紹介しておきます。http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/113751159 ロボット工学で「不気味の谷」現象というそうですが、人間は、「人間そっくりの姿形」でも「まるで違った姿形」でも怖くないが、…

牧口常三郎と総力戦体制

いわゆる「滅私奉公」は、一生に一度しか行えない理想である。この非常道徳を銃後の生活に強行しようとするには無理である(辻武寿(編)「牧口常三郎箴言集」第三文明社、1979年、p171)。 牧口のこの言葉から、牧口が1930年代に始まった「総力戦体制」に違…

意地と粋について

九鬼周造が「『いき』の構造」(1930年)で論じたように、「粋」は「意気地」の霊化されたものです。しかし、逆は真ならずで、たいていの「意地」は「野暮」です。「自分という存在の正しさを証明する」ものである「意地」には、自己中心性と視野狭窄が伴い…

「幡随院長兵衛もの」はなぜ復活しなかったか

大正時代には、講談や歌舞伎などの大衆文化を通じて「国民の一般常識」にまでなっていた、江戸時代初期の伝説の侠客を扱った「幡随院長兵衛」ものがなぜ第二次世界大戦後復活しなかったのかを考えてみました。それは、戦後は「官憲の横暴」がなくなったから…

「鉄の檻」の志願囚人

1990年代以降の、日本の若者の「自分探し」ブームは、結局は「新自由主義の罠」だったのではないでしょうか?M・ウェーバーが「プロテスタンティズムと資本主義の精神」の末尾で警告した、近代産業資本主義の「鉄の檻」を生きる「精神のこびと」、「精神なき…

牧口常三郎の任侠精神

以下の文章は、1983年に行われた「回想の牧口先生」という創価学会会員の座談会の記録です。 和泉 私は戦争から復員して、「牧口先生の顔」という講演を、総会でやったことがあるんですよ。怖い顔と怖くない顔と、冬の寒い夜なんか赤ちゃんおんぶして(熊田…

牧口常三郎と反骨心

牧口(あるいは明治人一般)の反骨心に影響を与えた要素は、もちろん、幡随院長兵衛もの以外にもたくさんあったと思います。戊辰戦争の「賊軍」の地で生誕したこと、貧困層での生い立ち、北海道師範学校時代の「押しつけ」の国家主義的教育への反発、等々。…

救いを「待っている」人々

以下の文章は、作家・安部公房(1924-1993)のノートです。カフカの短編小説を思わせるシャープな短文です。 二人の浮浪者の話。自殺したがっている浮浪者の訴えを聞いて、仲間の浮浪者がすっかり同情してしまう。どこかで手に入れた残り物のウイスキーで酒…

牧口常三郎と時代の制約

牧口常三郎は「最低限の道徳」として教育勅語や天皇への忠義を認めているのですから、「時代の制約を超越した」とまではいえないと思います。「軍閥と共産党は日本を滅ぼす」と主張した新渡戸稲造とその親友の牧口常三郎は、「天皇=幕府/官憲=旗本奴/自分…

牧口常三郎と天皇制

第三文明社(編)「牧口常三郎と獄中の闘い」第三文明社、2000年に、牧口の天皇観が記録されています。 私は学会の座談会の席や、また会員その他の人に個々面接の際度々陛下のことに関しまして、天皇陛下も凡夫であって、皇太子殿下の頃には学習院に通われ、…

新渡戸稲造と「幡随院長兵衛」

新渡戸稲造が幡随院長兵衛について書いた文章をアップしておきます。新渡戸稲造と牧口常三郎は「郷土会」で20年以上親しく付き合っていましたから、影響関係を想定するのはムリではないでしょう。この文章が収められている、1916年(大正6年)に実業之日本社…

近代日本における宗教と侠気

「武士道」で知られる新渡戸稲造(1862-1933)、創価学会(当時は創価教育学会)の創始者・牧口常三郎(1871-1944)、近代的な「霊界」のイメージを確立した大本の聖師・出口王仁三郎(1871-1948)という3人の近代日本における「反骨の知の巨人たち」共通点…

天理教教祖の「力比べ」の起源

天理教の女性教祖・中山みき(1798-1887)が男性信者に対して行っていた「力比べ」については、先にブログ記事「天理教教祖の『力比べ』について」で考察を加えておきました。拙稿「天理教教祖と<暴力>の問題系」『愛知学院大学文学部紀要』37号、2008年も…