現代日本の宗教文化と「カフカ的なるもの」

現代日本におけるニヒリズムについて。

 東京大学島薗進氏は、現代日本の宗教状況について、「軽薄なまでの明るさの追求とグノーシス主義的なニヒリズムが共存している」という大局観をお持ちだと思います。間違いではないと思いますし、グノーシス主義に対する着眼は、島薗氏らしいスケールの大きい慧眼だと思います。しかし、現代日本におけるグノーシス主義は、古代ヘレニズムのそれからはずいぶん性質が変化していると思います。啓蒙主義を通過した現代の日本人にとって、「邪悪な創造神」ディミウルゴスを信じることは、救済宗教の神話的世界観を信じることよりもさらに困難なことだと思います。私は、現代日本のニヒリスムは、「グノーシス主義的」というよりも、もう少し狭く絞って「カフカ的」と呼んだ方がいいと思います。カフカの文学が描く近代人の孤独と不安は、救済宗教を信じられず「現世拒否」をしつつも、「反宇宙的二元論」はなおさら信じられないという宙ぶらりんの状態からきているものだと思います(ex.「断食芸人」)。
 私は1962年生まれですが、高校時代の愛読書は安部公房カフカのラインでした。いま世界で一番売れる日本の小説家・村上春樹(私は「よくわかるだけに嫌い」ですが)も「海辺のカフカ」を作品名にしています。、現在ハリウッドが一番映画化したがっているSF作家P・K・ディックの作品には、「カフカのエンターテイメント版」としての側面があると思います。カフカは、現代の先進国では完全に大衆化されていると思います。現代の先進国の社会状況がカフカの問題意識に追いついてきた、と見ることができるでしょう。