「小欲知足」は日本宗教の阿片

 「場」にいない人は無視する日本社会では、「洪水は我が亡き後に来たれ」という「次世代搾取の連鎖」が起こっています。日本の新宗教団体連合会は、「環境倫理」の問題に対応するために「小欲知足」の精神を唱えていますが、甘いのではないでしょうか。「自分はこの世界に生まれ変わってくる」ということをはっきり打ち出さないと、次世代搾取の連鎖は止まらないのではないでしょうか。

信頼できるメイル・フェミニスト

「信頼できる数少ないメイル・フェミニスト」として名前が挙がりました。

 

 

 

天理教教祖伝と「おかの幻想」

 現行の『天理教教祖伝』にも取り上げられている、教祖の夫・善兵衛が下女の「おかの」に手を出し、おかのは教祖を亡き者にしようと毒を盛り、教祖は「これは神様が私のお腹を掃除してくださったのです」と耐えた、という、「夫の浮気にも健気に耐える教祖」は作り話のようです。教祖の死後、男性の創作者が作った話だということです。男性信者の妄想が反映されているのではないでしょうか。

 

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元・花魁と上原佐助の「お話とその真実」

 太田信実(編)『天理教大河原分教会百年史』(天理教大河原分教会、1999年)によれば、元・花魁の深津うた(1850-1932)が、天理教への信仰を決定的にしたのは、明治18年(1885年)に、東京布教を担った上原佐助(1850-1912)の「お話と、その真実」(p17)に触れてのことである。牛込大教会の初代会長・古田栄五郎(1846-1922)も、明治19年(1886年)に、上原の説教を3日聞くだけで入信している。そして、その説教の内容は、天理教の教理の男女平等を含む普遍主義を強調したものであった。そこから推測して、古田栄五郎と同様、深津うたもまた、上原佐助の説教の男女平等を含む普遍主義的側面に感銘を受けたのではないだろうか。

金光教と元遊女

 「かんべむさしの金光教案内(6)」より

 明治時代の話ですが、ある日、教祖さんから教えを受けて、教会も開かれてた先生が、その教祖さんのもとに参拝されました。そしたらそこへ一人の女性が参ってきたんですけど、顔を隠すように頭巾を深くかぶって、それを脱がないまま、神様を拝んでるんですね。それでその先生が怪訝けげんに思ってましたら、教祖さんが教えてくださいました。
 「このお方は、もとは岡山で遊女をしていた人じゃ。評判の美人で、玉島の材木屋の主人にひかされて、『玉島に来てからは、毎日参ってこれます』と、喜んでおられる」
 遊女とは郭くるわ、つまり遊郭で働く女性のことで、玉島は教祖さんのおられた備中大谷の近くです。そして「ひかされる」というのは、贔屓ひいきの客が遊女の抱えてる借金を清算してくれて、祝いの席も設けてくれて、自分のもとに引き取ってくれるという意味です。このお話では、その材木屋の主人と結婚したんですね。
 ところが教祖さんは、さらに言われました。
 「神様が仰せられるには、『この者は長らくの勤めで、体中が毒である。しかし、それを取ってやろうと思えば命が終わる。体に傷をつけて取れば命は助かるが、それでは亭主が捨てるであろう。だから子供を授けてやる。子供が出来れば亭主は捨てない』」
 つまり遊女という仕事柄、悪い病気をうつされて、体中にその毒がまわってたんですね。それで神様は、その毒を取り払い、同時に死なずに済み、亭主からも捨てられずに済むよう、配慮を尽くした助け方をされた。
 その仰せがあった翌年、元気な男の子が生まれて亭主が大喜びしてから、彼女の顔に出来物ができだして、それがどんどん増えたんです。女性としてとても人前には出られない顔になって、それで頭巾をかぶってたんですが、神様は出来物の膿うみを出すという形で、毒を取ってくださってたんでしょうね。
 それで私、これを読んだ時、その助け方に、「優しい神様だな。情のある、いい話だなあ」と思いました。と同時に、「なるほど。助けてもらうには、時間のかかる問題もあるんだな」とも思いました。人間一人を死なさずに毒を取るためには、神様も手間と時間をかけざるをえないということなんでしょうね。
 ですから、この女性がそのあとどうなったかは載ってませんでしたが、長い年月がかかったにせよ、もとのきれいな顔にもどったんじゃないでしょうか。そう思いたいですね。

おかのの逸話は作り話

最初に書いておくのだけれど、今回から2回に渡って展開される「おかの」という少女をめぐるエピソードは、「何から何まで作り話」である可能性が極めて高い逸話である。初出はおそらく、中山みきという人の外孫で、彼女の死後に神道天理教会の管長に就任し、「初代真柱しんばしら」と呼ばれた中山眞之亮しんのすけ氏が「明治31年」の日付で書き残した「教祖様御伝」と呼ばれる文書であり、その内容があまりにドラマチックであるためだろうか、渡辺霞亭、村松梢風、武者小路実篤といった当時の文人たちによって様々に脚色された形で巷間に伝えられ、広く人口に膾炙する挿話となって、現在に至っている。しかしながら数回前の記事で触れたように、当時の中山家が果たして「女中や使用人を置くような家」だったのかどうかということ自体がそもそも疑問であり、また詳しくは後述するが、中山みきの長男だった秀司という人が内縁関係にあった女性との間に作った女の子に「おかの」という名前をつけていたことから考え合わせても、このエピソードにおける「おかの」という女性の実在性は極めて疑わしいと考えざるを得ない。それにも関わらず「おかの」の話が天理教内外の人々の間で広く語り伝えられてきたのは、人々が「天理教教祖中山みき」という人にどんなイメージを「求めて」きたかの表れであるように感じられ、その意味では「単なる作り話」として片付けてしまうわけにも行かない挿話であると、個人的には思っている。

 

ChatGPT

中山みきに仕えた「おかの(かの)」が、夫の善兵衛に思いを寄せ、みきの毒殺を企てたという話ですね。史実として扱うのは難しく、後から作られた可能性が高い逸話です。

根拠として、二代真柱が1950年の教祖伝編纂に関する発言で、「かの」の話は芝居の台本を書く人が作ったもので、伝承はない、と述べた記録が紹介されています。また、確かな証拠はないという教内資料担当者の見解も紹介されています。

ただし、これらは現在確認できた記事を通じた記録の紹介です。元の記録そのものまで照合した結論として「完全な作り話」と断定するより、「裏づけがなく、創作の可能性が高い」と言うのが正確です。なお、長男・秀司の娘に「かの」という名の人物がいたとされ、逸話に登場する女中とは区別が必要です。