心と体の境界

かつて、100年前には人間の心と体の境界は、今よりも低かったのではないでしょうか?

  今でも、子供の心と体の境界は、大人よりも低いことがよく知られています。近代化が進行する以前の日本人の心と体の境界も、やはり今より低かったのではないでしょうか。心因性転換性障害(昔でいうヒステリー)と思われる病気が、当時の新宗教には多く持ち込まれていた節があります。だからこそ、治療成績も現代人が想像するよりも、ずっと高かったのではないでしょうか。

石原慎太郎と「男らしい」国家

 女の意地というのはあまり聞かないし、女にも女なりの心意気というものはあるのだろうが、意地を構えての突っ張りはやはり男ならではのものだろう。傍から見れば何を馬鹿なと言われる所行はやはり男の世界の物事だろう。それで損をしても心の隅である納得がいけば男の心は晴れる。それが男のマッチョということだ。(中略)

    国家としての矜持、民族としての誇りを過剰に抱くのも危険かもしれぬが、私たちは個々人の意地の上に組み立てられる国家民族の正当な自負を持ち直すべき時に差しかかっているのではなかろうか(石原慎太郎『男の業の物語』幻冬舎、2020年、pp.218-223)。

 

*「意地の系譜」(佐藤忠男)と「集団主義」(加藤周一)を特徴とする近代日本の覇権的男性性(拙著『男らしさという病?』参照)。私は、国益を損なう危険な発想だと思います。こういう発想は、石原慎太郎氏の世代でおしまいにしたいものです。私は、老人の「男の意地」ために「損をする」のはごめんです。

ジェンダー論は実学

私の春学期の授業「ジェンダー論入門」における授業アンケートの自由記述欄から。

 

この授業は今までの自分を振り返ることが多かったなと思いました。そこからこの授業へ入り込めたから、分かりやすかったです。

新しいことを学べた、わかりやすかった。

これから社会に出て生きていく上で大切な大事なことだなと毎回の授業を通じて感じた。

すごくこれから生きていく中での知識知らないことを知れて良かったです。

もっと人を大切にしようと思いました。

 

ちなみに、使用テキストは加藤秀一『はじめてのジェンダー論』(有斐閣ストゥデイア、2018年)。

天理教教祖と男性信者の妄想

最近知ったのですが、天理教教祖伝の異本のなかに、夫・善兵衛の浮気に際して、みきが「他の女子も好くような夫でよかった」と言ったという記述があり、男性信者のメイル・ファンタジーにはキリがないなあと思いました。

「手引き」と「ためし」

 手引きというのは、まあ言うてみるなら、何も知らない子供が、目先のことにとらわれて、知らず識らずの間に危うい道に陥るのを、こちらの安心な道に来いと、手を引いてくださるようなもの、ためしというのは、親から安心の道を教えられたら、その通り実践して行くことを言われていると思う。

 人間の身上の障り(病気ー熊田注)や事情(その他の苦難ー熊田注)には、この手引きとためしの二つの意味が含まれていると思われる。

 兵四郎の目の障りにしても、神の手引きとためしの二つの意味が含まれていた。神様のお話を聞いて、夢みたように眼が見えるようになったというのは、神の手引きである。それがわかったなら、その通り実践せよといわれるのである。それがためしなのである。

 人間の常識からいうと、日々おたすけ生活に邁進していたのである、なれども、その通る心の中に、わが家わが子を思う心がまじっている。その心をすっきり忘れて、どうでも人をたすけたい、たすかってもらいたいという心一つに取り直してもらいたい、と仰せられているものと拝察される(高野友治『草の中の聖たちー庶民信仰者列伝』天理教道友社、1980年、pp.328-329)。

病と「手引き/ためし」ー天理教の事例からー

一六七 人救(たす)けたら

 

 加見兵四郎(後の天理教東海大教会初代会長)は、明治一八年九月一日、当時一三才の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年一〇月七日から、兵四郎もまた目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日、妻つねに申し付けて、おぢば天理教の聖地ー熊田注)へ代参させた。教祖(おやさま)は、

「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で押さえているのやで。そのなあ、押さえているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」

と、仰せになり、つづいて、

「人言伝て(づて)は、人言伝て。人頼みは人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う、狂うた話した分(ぶ)にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」

と、お諭し下された。つねが家にもどって、この話を伝えると、兵四郎は、「成る程、その通りや。」と、心から感激して、三日朝、笠間から四里の道を、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰って来た。教祖は、先ず、

「さあゝ」

と仰せあり、それから約二時間にわたって、元初まりのお話(天理教創世神話ー熊田注)をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと震動した程であった。そのお言葉がすむや否や、ハッと思うと、目はいつとなく、何(な)んとなしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女きみの目も鮮やかにご守護頂いていた。

 しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時頃までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治一九年正月に、又、おぢばに帰って、お伺い願うと、

「それはなあ、手引きがすんでためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上(健康状態ー熊田注)は鮮やかやで。」

とのお諭しを頂いた。よって、その後(のち)、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救け頂いた(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』天理教道友社、1976年、pp.277-279)。

 

    突然失明して、突然視力を回復していることから判断して、この父娘の眼病は、心因性、現代の精神医学でいう「転換性障害」(昔はヒステリーといった)であろう。教祖も、心因性だと判断したからこそ、「神様は一寸指で押さえているのやで」と教理の「諭し」だけで回復すると判断したのだろう。ただし、兵四郎の場合は、回復後も少し症状が残っているので、他の疾患、例えば白内障を併発していた可能性はある。

   「ためしというは、人救けたら我が身救かると言う。我が身思うてはならん」という諭しは、教祖が「救かりたい」から「救けたい」への姿勢の転換には、現代の認知行動療法に相当する治療効果があることを、経験的によく知っていたから出てきたものであろう。

    高野友治はこの逸話に関して、次のように述べている。

  

    手引きというのは、まあ言うてみるなら、何も知らない子供が、目先のことにとらわれて、知らず識らずの間に危うい道に陥るのを、こちらの安心な道に来いと、手を引いてくださるようなもの、ためしというのは、親から安心の道を教えられたら、その通り実践して行くことを言われていると思う。

 人間の身上の障り(病気ー熊田注)や事情(その他の苦難ー熊田注)には、この手引きとためしの二つの意味が含まれていると思われる。

 兵四郎の目の障りにしても、神の手引きとためしの二つの意味が含まれていた。神様のお話を聞いて、夢みたように眼が見えるようになったというのは、神の手引きである。それがわかったなら、その通り実践せよといわれるのである。それがためしなのである。

 人間の常識からいうと、日々おたすけ生活に邁進していたのである、なれども、その通る心の中に、わが家わが子を思う心がまじっている。その心をすっきり忘れて、どうでも人をたすけたい、たすかってもらいたいという心一つに取り直してもらいたい、と仰せられているものと拝察される(高野友治『草の中の聖たちー庶民信仰者列伝ー』天理教道友社、1980年、pp.328-329)。

 

    また、村上道昭は、「「すっきり救かる」ことだけを願うなら、また「すっきり救かる」ご守護がないと不足する(不満を抱くー熊田注)ようであれば、それは本当の信仰ではなく、単なるご利益信心の域を出ないことになります」と指摘している(村上道昭『教理随想ー教祖(おやさま)を身近にー』天理教道友社、2014年、p329)。「ためし」は、ご利益信心を超えた、宗教的主体化への道なのである。

    「人助け」を心がけたからといって、別に体に害はない。お金もかからない。中井久夫のいう「ダメでもともと医学」の条件を満たしている。「助かりたい」から「助けたい」への姿勢の変化には、現代の認知行動療法に相当するような働きがあり、それで病気、特に今日では不安障害に分類されている疼痛性障害(心因性の痛み)が治癒し、それをきっかけに他の疾患も連鎖反応で治癒していくこともあるだろう。

    また、病人はどうしてもわがままになっている。「人助け」を心がけることによって、周囲の人間との人間関係が改善し、それによって、病気にも良い影響があることもあるだろう。

    天理教の「人救けたら我が身救かる」という教えには、十分な合理的根拠があるように思われる。