茶道・短歌、ゆとり、統合失調症

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11254697976より転載

私も統合失調症で茶道を習っていました。茶道のお点前は身に付きませんでしたが、茶道を習った経験から、今は自己流で短歌を作って病気とは付き合えるようになりました。茶道で学んだことが生きているような気がします。

 

*茶道を習ったことによって、統合失調症の治療に肝要な「心のゆとり」を身に付け、短歌を作りながら病気と共存できるようになったのでしょう。このようにして統合失調症と共存している人は、少なくないのではないでしょうか。

天理教と科学宗教複合世界観

秋治・shin『生命(いのち)の進化 令和編ー科学の進歩で見えてきた「元の理」』(養徳社、2022年)を読了。比喩的に理解されてきた天理教創世神話「元の理」を、現代科学と一致するものとして読み直す試み。天理教も、科学宗教複合世界観を採用するに越したことはないでしょう。

大本における美とユーモア

日本の近代化の中で登場した神道新宗教・大本、特に男性教祖・出口王仁三郎が美とユーモアを大切にしたのは、急速な近代化(西洋化)の中で切り崩されていく「ゆとりの文化」を大切にするためではなかったでしょうか。茶道から男性が去っていったのは明治以降です。彼は茶道や短歌を信者に推奨し、どんな苦境にあっても、ユーモアを忘れませんでした。例えば、第二次大本弾圧事件で収監された時も、カメラに向かって金だらいを叩いています。「かなわん、かなわん」という洒落です。

 

「推し」と依存症

精神科医中井久夫さんは、野球や相撲に贔屓のチームや力士があると、アルコール依存症は治りやすくなる、なぜなら、この世界に「同一化」できる対象がいるからだ、と書いていました。近年、若者のアイドル文化で「推し」という言葉が普及したのは、若者の間で、アルコール依存症に限らず、依存症の危険が広がったせいかもしれません。「推し」は、現代の若者を「牢獄のような」この世界につなぎとめている碇のようなものかもしれません。

 

「芸術は宗教の母なり」と「心のゆとり」

https://oomoto.or.jp/wp/geijyutu/より転載

芸術は宗教の母なり

神さまは〝大芸術家〟

大本ではみ教えに基づき、茶道、能楽、武道、書道、短歌、八雲琴、陶芸などの日本の伝統的な芸術文化に親しむことを奨励し、活動しています。

芸術は宗教の母

「芸術は宗教の母なり」とは、出口王仁三郎聖師の言葉です。この美しく素晴らしい大宇宙を創造された神さまは〝大芸術家〟であり、また、天地間の森羅万象は、神さまによって生み出された芸術作品であるということを示しています。人はその作自然を目の当たりにした時、畏敬の念や感動を覚えますが、その「美」の根源をたどれば、神さまのご存在に気付かされます。

ですから「美」は神さまに通じる入口ともなります。〝美しい〟と感じ、感動することは、子供からお年寄りまで、誰もが共通してもっている心の性(さが)です。「美」に対する感動に始まり、興味を持ち、徐々に高尚な芸術へと進んでいけば、次第にその心性も高まり、そこから神さまのみ心を感じ、理解できるようになります。なお、神さまに通じる入口としては、この「美」からの入口の他、「善と愛」の面からの宗教や、「真理」の面からの哲学・科学などもあります。

信仰 即 生活 即 芸術

温かく潤いにあふれた豊かな魂を育んでいくためには、次の三つのことが大切です。
一つ目は、この世を造りご守護くださっている神さまへの「信仰」を高めることです。二つ目は、お互いに心を和らげてつつしみ敬い、共に喜びあふれる「生活」を営むことです。それには、神さまのみ教えを気持ちの中に生かし、さらに日々の生活で実際に行うことです。三つ目は、心性を高め、生活にゆとりと潤いを与える「芸術」(茶道や短歌など)に親しむことです。
「信仰 即 生活 即 芸術」とは、これら三つを重ね合わせ深めていくことが、真に豊かな人生を歩むために必要であるという教えです。

 

出口王仁三郎の「芸術は、宗教の母なり」という思想には、「心のゆとり」の大切さを説いたという側面があります。明治以降の近代化の中で、掘り崩されていった「ゆとりの文化」を補おうとした、と見ることができます。

ソンタグのアルトー論

アメリカ人スーザン・ソンタグの『アルトーへのアプローチ』(みすず書房、1998年(原文1973年))を読了しました。アントナン・アルトーグノーシス主義者として捉えるとても興味深いアプローチです。日本人がまだありがたがっている、フランスのドゥルーズ=ガタリアルトー論よりも、よほどためになります。