中村哲と侠気

 私の父も、「男なら、やらんにゃあ!」という、非常に泥臭い、文字通りの活動家でした。行動する人です。

 右翼にもけっこう知り合いがいたし、弱い者のために立ち上がるというところがあった。祖父の金五郎(任侠の大親分ー熊田注)とは、男同士共鳴するものがあったんじゃないでしょうか(中村哲澤地久枝『人は愛するに至り、真心は信ずるに足るーアフガンとの約束』岩波現代文庫、2021年、p21)。

中村哲のボランティア活動の根源が「侠気」にあったことを示している文章だと思います。

男性性と宗教文化

 拙著『格差社会の宗教文化ー「民衆」宗教の可能性を再考するー』に、フェミニストの橋迫瑞穂さんがレビューを寄せてくださいました。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1COS2VB9SO5DL/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4833111454

 「男性性と宗教文化」と題するべきだったのでは、というご指摘はもっともだと思います。大学研究者の方、大学図書館にいれていただければ幸甚です。

レディオ・ヘッドとグノーシス主義

http://www5f.biglobe.ne.jp/~letsrock/history_Radiohead.html

より転載

 

充実した2000年を迎えたバンドは同時期に制作し終わっている作品を2001年にリリースすると発表し、予告通り2001年の6月に新作「アムニージアック」をリリース。
「人間は生まれる時に、新しい人生に到着するトラウマに対処するために、それまでの記憶を忘れるように強制される」このグノーシス派の考えから付けられたのが、今回のアルバム・タイトルであるアムニージアック(=記憶喪失の)という言葉である。
グノーシス派とはギリシャ語で「知識」を意味し、グノーシス主義は世界を邪悪なものと考え、邪悪な現世を救うものがグノーシス「知識」であると説いている。
西欧のキリスト教的なものや、物質主義の社会を痛烈に批判するトムが興味を抱くに足る思想がこのグノーシス主義なのでろう。

 

*やはり、イギリスのロックバンド、レディオ・ヘッドの音楽は、グノーシス主義に親和性があるようです。ボーカルのトム・ヨーク村上春樹のファンだというのも、よく理解できます。

SNS以上しがらみ未満の居場所

https://mainichi.jp/articles/20230112/k00/00m/040/071000c

より転載

居場所は「質より量」です。「ここがだめならば、ほかがある」と思えるくらいがいい。こども食堂のように「SNS(ネット交流サービス)以上しがらみ未満の居場所」を大人も無数に持てる社会にしなければならないと思います(湯瀬誠)。

 

この世は生きるに値するのか?

https://telling.asahi.com/article/14808499

より転載

この作品で心を打たれたのが、登場人物の「この先の世界が生きるに値するのかを見てみたいと思った」という言葉でした。『火狩りの王』は最終戦争後の世界が描かれているので、もともと子どもたちは光を知らないところからスタートするんです。それでも火の存在をよく知らないからこそ、子どもたちは火に向かって進んでいきたくなる。人生は先がわからないから、人は希望を持って突き進んでいく。そして時には傷ついてしまうこともある。そういった部分もきちんと描きたいと思って、主題歌を書きました(家入レオ)。

*「この先の世界が生きるに値するのか」というのは、新作アニメ『火狩りの王』の脚本を担当したアニメーター・押井守の、巨匠・宮崎駿の、私の子供たちへのメッセージは「この世は生きるに値するところ」という引退宣言への、押井守なりの返答だと思います。

依存症と「自認」

依存症は、「否認の病」であるとよく言われます。では、「否認」の反対語は何でしょうか?「自認」という言葉が良いのではないでしょうか。これは、私の宗教心理学の授業をとっている学生がリアクション・ペーパーで使っていた言葉です。

中島みゆきの音楽と天理教

私の知る限りでは、天理教の教義をもっとも全面に押し出した、中島みゆきの楽曲。

「月日すべての悲しみを癒せ」。「月日」とは、天理教の教義では神様((宇宙)親神・天理王命)のことで、これは祈りの音楽です。グリーフ・ケアをテーマとした曲だとも言えます。天理教を知らない人は、「月日」を時間の経過のことだと思っているのではないでしょうか。だから、「天理教の話はしない」という中島みゆきヤマハとの契約にも違反しない。天理教のステルスマーケット布教と見ることも可能です。