侠気

天理教教祖の侠気

天理教の知識人信者であった諸井政一(1876年-1903年)が、天理教の女性教祖・中山みき(1798年-1887年)についての伝承を明治時代に記録した『正文遺韻抄』には、次のような伝承が記録されている。 教祖様がきかせられましたが、 『せかいには、ごろつきも…

ヒーロー像の変貌―「忠臣蔵」幻想の後に―

今回の章を終えて、時代が変わると、人々の考え方や理想も変わるということがわかりました。私は、弱いものを助け、悪い者をやっつけるような人がヒーローだと思っていました。しかし、私よりも上の年代の人達の中では自分を犠牲にしても特定のものを自分以…

女性の侠気

たしか、「女々しい」太宰治が『人間失格』で、「男性よりも女性に侠気を感じることが多い」と述べていましたが、賛成です。特に太宰治の時代には、『忠臣蔵』という強力な「男のなかの男」のイメージが流布していたので、「民衆的正義感のふるさと」である…

天理教教祖の「力だめし」について

力だめしの話 教祖様は、御老年に及びても、御よわり遊ばされず、時々御前へ伺ふ人々に対して、力だめしをあそばされる。 或時、力士詣でければ、上段の間の御座より、腕引をなされたるに、力士は、下より上段の方へ、引張られかれば、大いに恐れ入りたる事…

天理教教祖の侠気について

天理教の知識人信者であった諸井政一(1876年-1903年)が、天理教の女性教祖・中山みき(1798年-1887年)についての伝承を明治時代に記録した『正文遺韻抄』には、次のような伝承が記録されている。 教祖様がきかせられましたが、 『せかいには、ごろつきも…

アキハバラの<侠>と<粋>

AKB商法に代表される最近のアイドル商法ついて、テレビで荒俣宏が、「推しメン」(応援メンバー)の文化は相撲の「タニマチ」の「育てる」という楽しみを大衆化(商業化)したもので、「百も承知で馬鹿を楽しむ」江戸町人の<粋>の美意識を引き継ぐものだ、…

天理教教祖の侠気

(熊田註;天理教の原典である)おふでさきに地震・大風などの文言が登場するのは「第6号」からだが、そのお歌のご執筆は教祖が奈良県庁の呼び出しに応じて円昭寺(山村御殿)へ行かれた後のことである。 月日よりたんゝ心つくしきり そのゆえなるのにんけん…

映画「次郎長三国志」について

マキノ雅彦監督の角川映画「次郎長三国志」が、9月20日から全国公開されています。http://www.jirocho-movie.jp/ 1990年代(「失われた10年」)には「忠臣蔵=プロジェクトX」的男性性が、2005年には新渡戸稲造の<発明>した「キリスト教的武士道」に依拠し…

明治日本の宗教者とエートスとしての<侠>

愛知学院大学文学部紀要38号原稿(2009年3月刊行)<題名>明治日本の宗教者とエートスとしての<侠> <著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)<要旨> この論文の目的は、近代日本における宗教と男性性(マスキュリニティーズ)という問題意識に基づき、明…

民衆的正義感としての「侠気」

(前略)とはいえ、原始任侠道についての文献的資料といったものがあるわけではない。それは、江戸時代の初期・中期の男伊達の物語やら、近くは長谷川伸の小説やらを手がかりにして想像されるものであるにすぎない。 しかしながら、それは、たしかにあったは…

近代日本における宗教と侠気

「武士道」で知られる新渡戸稲造(1862-1933)、創価学会(当時は創価教育学会)の創始者・牧口常三郎(1871-1944)、近代的な「霊界」のイメージを確立した大本の聖師・出口王仁三郎(1871-1948)という3人の近代日本における「反骨の知の巨人たち」共通点…

侠客としての牧口常三郎

軍部に抵抗して獄死した、創価学会(当時は創価教育学会)の初代会長・牧口常三郎(1871-1944)は、旗本奴(権力)の横暴に抵抗して惨殺された町奴、江戸時代初期の伝説的侠客「幡随院長兵衛」を主人公とした歌舞伎の影響を受けていたのではないでしょうか。…

新宗教における「女頭目」の系譜

拙論「天理教教祖と<暴力>の問題系」(『愛知学院大学文学部紀要』37号、2008年)において、私は中山みき(1798-1887)の「女頭目」(赤松啓介)または「女侠」(北村透谷)としての側面をクローズ・アップしました。天理大学の池田士郎さんは、「教祖の死…

新宗教と侠気のゆくえ

創価学会名誉会長である池田大作氏の少年時代の愛読書は、三国志・水滸伝とデュマの三銃士だったそうです。三国志・水滸伝は、創価学会2代会長の戸田城聖氏が愛読しており、その影響で年配の創価学会員には広く読まれていたそうです。第二次世界大戦後、二…

侠と粋

キリスト者であった北村透谷が、「徳川氏時代の平民的理想」(1892年)という論文で、江戸時代の庶民が生んだ思想で、キリスト教社会における「騎士道」に相当するものは、「侠」(「女侠」を含む)と「粋」くらいである、と論じています。やはりキリスト者で…