天理教教祖の「力だめし」について

力だめしの話


 教祖様は、御老年に及びても、御よわり遊ばされず、時々御前へ伺ふ人々に対して、力だめしをあそばされる。
 或時、力士詣でければ、上段の間の御座より、腕引をなされたるに、力士は、下より上段の方へ、引張られかれば、大いに恐れ入りたる事ありしと。されば、通常の百姓、町人は云うまでもなく、如何なる剛のものと雖も、神の方には、敵一倍、皆この通りやとお聞かせ被下。是れ教祖様、御自身の力にあらず、正しく神様の入込み給ふ事を示し給ふなり。
 又手の甲を出さしめて、御自身のひとさし指と、小指とにて、皮を一寸はさみ給ふに、痛さ身にしみて堪え兼ね、恐入らぬ者はなかりしと。
 かゝかる力だめしを受けし人々は、あまたある中に、梅谷四郎兵衛様、御前に伺い、この力だめしにあひ給う時、くはしきお咄あり。
『この道の最初、かゝかりにはな、神様の仰せにさからへば、身上に大層の苦痛をうけ、神様の仰有る通りにしようと思へば、夫をはじめ、人々に責められて苦しみ、どうもしやうがないのでな、いっそ、死ぬほうがましやと思ふた日も有つたで。よる、夜中に、そっと寝床をはひ出して井戸へはまらうとしたことは、三度まで有つたがな。井戸側へすつくと立って、今や飛び込まうとすれば、足もきかず、手もきかず、身はしやくばつた様になつて、一寸も動く事が出来ぬ。すると、何処からとも知れず、聲がきこえる。何といふかと思へばな、「たんきをだすやないほどに〃、年のよるのを、待ちかねたる〃、かへれ〃」と仰有る。
 是れは、神様の仰せだと思ふて、戻らうとすれば戻られる。是非なく、そつと寝床へはいつて、知らぬ顔して寝て終わつたが、三度ながらおなじ事やつたで。それから、もう井戸はあかんと思ふて、今度はため池へいたで、したが今度は身がすくんで終わつて、どうも仕様がなかつた。すると、やつぱり何処ともなしに、姿も、何も見えんのに「短気をだすやないほどに〃、年のよるのを、待ちかねる〃、かへれ〃」と仰有るから、ぜひなく、戻つて寝てしまう。是も三度まで行つて見たが、遂に思ふように死ぬことは出来なんだ。
 そこで、今日は神さんがな、けふの日をまちかねたのやで。もう八十すぎた年寄りで、それも女の身そらであれば、どこに力のある筈がない、と誰も思ふやろう。こゝで力をあらはしたら、神の力としか思はれやうない。よって、力だめしをして見せよと仰有るでな。おまへ、わしのてをもちて、力かぎり引つ張つて見なはれ』と仰せられましたので、梅谷様、血気盛りの頃なれば、力まかせに引きたれ共、忽ち引上げらるゝ様になるので、恐れ入りました、と申し上ぐると、『人さんがおいでるとな、神さんが、手なぐさみをしてみせよ、と仰有るから、してみせるのやで』とお聞かせ被下さりたりと。又仰有らるゝに、
『年のよるのをまちかねるといふは、一つには、四十臺や五十だいの女では、夜や夜中に男を引きよせて話をきかすことはできんが、もう八十すぎた年よりなら、誰も疑ふ者もあるまい。また、どういう話もきかせられる。仕込まれる。そこで、神さんはな、年のよるのを、えろう、お待ちかねでござったのやで』と聞かせ給ふ。尤もの事にこそ(諸井政一『正文遺韻抄』天理教道友社、1970年、pp.138-141)。


天理教教祖の「力比べ」を見聞したものは、社会的不正義に対して<暴力>に訴えたり、大塩平八郎のように<謀反>を起こしたりする必要はなく、安心して<神にもたれて通る>信仰一筋の生活をしていればよい、と確信できたでしょう。