教団への迫害

『稿本 天理教教祖伝逸話篇』

一八三 悪風というものは

 明治一八、九年頃のこと。お道がドンドン弘まり始めると共に、僧侶、神職、その他、世間の反対攻撃もまた猛烈になって来た。信心している人々の中にも、それらの反対に辛抱し切れなくなって、こちらからも積極的に抗争しては、と言う者も出て来た。その時、摂津国喜連村の林九右衛門という講元が、おぢばへ帰って、このことを相談した。そこで、取次から、教祖(おやさま)に、この点をお伺いすると、お言葉があった。
 「さあ^悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けんことはないで。」
と、お諭し下された。

 又、その少し後で、若狭国から、同じようなことで応援を求めて来た時に、お伺いすると、教祖は、
 「さあ一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」
と、お聞かせ下された。一同は、このお言葉に、逸る旨を抑えた、という(pp.297-299)。

*みきが、社会的不正義に対してだけでなく、教団(お道)に対する迫害に対しても、暴力に訴えることは極力避けようとしていたことがわかります。