天理教教祖の侠気

 (熊田註;天理教の原典である)おふでさきに地震・大風などの文言が登場するのは「第6号」からだが、そのお歌のご執筆は教祖が奈良県庁の呼び出しに応じて円昭寺(山村御殿)へ行かれた後のことである。


 月日よりたんゝ心つくしきり
 そのゆえなるのにんけんである(六 88)
(村上重良註;親神が創造以来現在まで、心を尽くして人間を守護しているからこそ、人間がこんにち在り生活している ことを忘れてはならない、という意味)
 それしらす今のところハ高山ハ
 みなはびかりてまゝにしている(六 89)
 この月日大一(村上註;第一)これがさんねんな
 どんなかやしをするやしれんで(六 90)
 このせかい山ぐゑ(村上註;山崩れ)なそもかみなりも
 ぢしんをふかぜ月日りいふく (六 91)


 まことに激烈である。ただ、この「高山」という意味を政治権力や世の上層階級でなく、「たすけ一条の親心を妨げるもの」と解するなら、私たち一人ひとりの胸に住まう「高山」を糺(ただ)していかなければなるまい。
 とはいえ、災害は決して天罰ではない。教祖はどこまでも万人のをやである。


 どのようふなものも一れつ(村上註;平等に)ハかこ(村上註;我が子)なり
 月日の心しんぱいをみよ   (六 119)


(井筒正孝「災害にをやの思いを尋ねて」『みちのとも』2011年8月号、天理教道友社、2011年、p45)


天理教教祖のいう「高山」をこのように解釈することには無理があるように思います。文字通りに、「政治権力や世の上層階級」ととり、天理教教祖の「(女性の)侠気」がよく表現されている部分と解釈するべきではないでしょうか。