侠と粋

 キリスト者であった北村透谷が、「徳川氏時代の平民的理想」(1892年)という論文で、江戸時代の庶民が生んだ思想で、キリスト教社会における「騎士道」に相当するものは、「侠」(「女侠」を含む)と「粋」くらいである、と論じています。やはりキリスト者であった新渡戸稲造は、おそらく透谷に影響を受けて、有名な「武士道」(1900年)の終章で、武士道は所詮封建時代の道徳であり、これからの日本に必要なのは「平民道」(Democracyに対して新渡戸があてた訳語)、江戸時代のオトコダテの精神である、と論じています。佐藤忠男の任侠論は、この系譜に連なるものでしょう。ただ、私が佐藤忠男についていけないのは、「野暮」な議論であり、透谷が指摘したもう一つの重要な伝統、つまり「粋」という美意識の伝統に連なっていない点です。フランス帰りの九鬼周造が「いきの構造」(1926年)を書いたのは、時代が軍国主義という「野暮」に流れていくことに対するプロテストだったのではないでしょうか?
 「侠」だけではなく、「粋」の伝統も再活性化すべきではないかと思います。