新自由主義と「ひきこもり」問題

 たいていの人が、一度か二度のつまずきで心を閉ざしてしまう。そういう時代なんだ・・・いつからこういう時代になったのか・・・おそらくだいぶ前から深く潜行してきたしてきたことがここにきて表面化してきたのだろうが・・・だが文明批判をしたところで何がどうなるものでもない。この文明はつき進んでいくだけだ。止まったら倒れてしまう車輪と同じだ。毎日毎日社会のあらゆるシステムが加速度的にスピードアップされていく。それが正しいとか間違っているとかそういう問題ではない。そういう文明なんだ。
 『一切の無駄を省いて能率アップする』この経済の基本原理が人の心にまで及んでしまった。これは正しくない。人間には無駄が必要だ。人間は様々な無駄を経てゆっくり成長する生物なんだ。管理され保護されて無駄を知らずに育った人間は脆い。一つの回路が切れると動けなくなってしまう古いコンピューターに似ている。(水樹和佳子「ケシの咲く惑星」1985年)  

 現代日本における「ひきこもり」の問題は、このような「効率と競争ばかりを追求していると人間の心は弱くなる」という新自由主義の問題、文明史的な「社会の問題」にまで掘り下げて理解されるべきものでしょう。ところが、現代日本では、精神科医によって「心の問題」に矮小化されているように思います。特に悪質なのは、石原慎太郎氏を絶賛し、北野武氏が好きな精神科医斎藤環氏です。

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