中井久夫氏の人間観と天理教の教義

 稀代の碩学である精神科医中井久夫氏(1934-)の人間観を理解するためのキーワードは、「余裕」だと思います。


 私の人生観はわりと単純で、善人と悪人というんじゃなくて、余裕のある人間と、余裕のない人間とがあるんだろうと。それは程度の差もあるし質もあるだろうけど、私はそう考え、そういう軸で人をみている(中井久夫「家庭の臨床」『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(初出1985年)、pp.97-98)。


 中井氏のこの「余裕」という発想は、天理教の教義における「たんのう」の教えと共通点が多いと思います。


「たんのう」の原義は足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。
苦しい状況の中でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱することではありません。
これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。
従って、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。
「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成ってきた事柄を、成るべくして成ったものと受け止め、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。
広辞苑』の編者である新村出博士によると、「たんのう」の原義は「足りている」ことで、「足りぬ」「足んぬ」と変化したもの、すなわち満足したという心の状態を指すということです。
道友社刊『ようぼくハンドブック』より(天理教のホームページからの引用)


 中井氏が、1.天理教の教祖・中山みきの生家からわずか500mの場所で生を受け、奈良県天理市で生まれ育ったこと、2.主著の一つ『治療文化論』の第一章が天理教教祖論であること、の二点から、中井氏の「余裕」という発想が、意識的にせよ無意識的にせよ、天理教の教義における「たんのう」の教えに影響された可能性は高いと思います。