ヒーロー像の変貌―「忠臣蔵」幻想の後に―

今回の章を終えて、時代が変わると、人々の考え方や理想も変わるということがわかりました。私は、弱いものを助け、悪い者をやっつけるような人がヒーローだと思っていました。しかし、私よりも上の年代の人達の中では自分を犠牲にしても特定のものを自分以上に大切にする人こそヒーローであるという考え方があるということを知り、戦争中の日本人がよく言うような「国のために」という言葉を使っている人々みたいな考え方だなと思いました。また「覇権的男性性」について、男性であるから男らしくなければならないというような考え方があり、男らしくない男性に対して「女の腐ったような〜・・・」という言葉が投げかけられることを知り、その当時は女性という性が男性という性より低いものだったんだなということがわかりました(私の授業「ジェンダー論入門」を受講している女子学生の小レポート)。


*近代日本「忠臣蔵」幻想は、もう終わったようです。時代の変化は、速いようです。そういえば、マッチョ同士、石原慎太郎三島由紀夫を「女の腐ったような奴」と批判していました。ただし、「学生のフェミニストなんか信用しない」(小倉千加子)。学生は、性差別のなんたるかをまだ実感できていない、ということです。この学生も、まだわかっていないのだと思います。