義務としての恋愛

(前略)恋愛は女子学生の義務みたいなところがあると思います。週数回のスタバやコメダ(熊田註;名古屋周辺のコーヒー店チェーン)での恋バナ、彼氏のグチ、月数回の飲み会での新たな出会い探し、毎日のライン、ツィッターでの相手の心の読み合い。はっきり言ってとても疲れます。しかし、こうでもしないと勉強・サークル・バイトでの気分転換にはならないです。でもみんながそれをくりかえします。女子はみんな個性のない人間です。女子のめんどうなところは謎に(ママ)深いポエムに影響されがちなところだと思います。
「付き合ってから女子が困っていたら大丈夫?って聞くぐらいするべき」これを女子が共感して宗教かっていうくらい拡散して男子に義務化させていき、しまいにはそれくらいできないやつとはつきあってられんから別れると言いだします。男子からすれば知らねーよなんで常に様子うかがってなきゃだめなんだよって話です。女子の恋愛観念は宗教です。わたしはそんなこと思ったことないですけど。
(中略)
私は金もち(ママ)と結婚する日々を夢みて毎日生きています。彼氏はいません(私の授業「ジェンダー論入門」を受講している女子学生のレポートより)。


*ロマンティック・ラヴ・イデオロギーが「曲がり角」(私は、上野千鶴子さんや小倉千加子さんと違って、「終わった」とまでは思いません)の段階にくると、「義務としての恋愛」という発想が出てくるのでしょう。イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズによる『親密性の変容』は、楽観的すぎる議論だったようです。