若者と『らんま1/2』的状況

 私はチャプター2(熊田註;小倉千加子セクシュアリティの心理学』有斐閣選書、2001年)のジェンダーアイデンティティは『らんま1/2』のように思春期に変化しやすいものであるという所にとても共感した。思春期というものはどんな刺激も強く受けるものだ。それはいい意味でも悪い意味でもその頃のヒトは様々な刺激を受けながら自分を見つけ考えるものだと私は思っている。そのため、思春期の体験・経験によりジェンダーアイデンティティというものはコロコロと変化するものなのだろう。そしてそれよりもセクシュアリティの方が変化しやすいというのもとても共感できるものであった。私も中学生の頃女の子が好きであった。アイデンティティの確立もままならず、自分というものがさまよっていた頃だ。私の親は私が小学校の頃には、父にも母にも原因があり離婚している。私は母と二人でくらすことになった=男のいないくらし。そのため男性という存在に私はあまりいい印象は持っていなかった。幼い時の経験というのは大きいもので、私のことをわかってくれるのは女性しかいないと思っていた程だ(男性は二次元の存在のみ好きであった)。そんな頃の文通相手に私は思いをよせていて週に2通はやりとりをしていた(相手は東京であり中学生の頃は会えず)。毎日学校がおわり、家のポストをワクワクした気持ちで覗くのが日課であった。今思えば完全に彼女に恋愛感情を持っていたと思う。あれはまさにセクシュアリティの変化によるものだろう。彼女とは今もつながりがあり年に一回あうが、その気持ちはもうない(2014年の私の講義を受講した女子学生のレポートより)。


*「ジェンダーアイデンティティは可変的である」という議論は、現在日本の若者には腑に落ちるもののようです。