侠客としての牧口常三郎
軍部に抵抗して獄死した、創価学会(当時は創価教育学会)の初代会長・牧口常三郎(1871-1944)は、旗本奴(権力)の横暴に抵抗して惨殺された町奴、江戸時代初期の伝説的侠客「幡随院長兵衛」を主人公とした歌舞伎の影響を受けていたのではないでしょうか。次の文章は、創価教育学会の渉外を担当していた矢嶋秀覚の証言です。
先生はまた歌舞伎が大変お好きでした。毎月必ず一回は奥様といっしょにお出かけになった。その時のうれしそうな、楽しそうなお姿が今でも目に浮かぶ気がします。(聖教新聞社(編)「牧口常三郎」聖教新聞社、1972年、p478)
おそらく牧口は、1881年(明治14年)に初演された河竹黙阿弥の人気演目「極付幡随長兵衛」を見ていたでしょう。
二代会長・戸田城聖は、牧口の「弱きを助け、強きを挫く」任侠精神を継承しつつも、それを集団本位的な方向と妥協させて、「水滸伝」や「三国志」を会員に推奨していたのではないでしょうか(「清水の次郎長」的だった、と言えるかもしれません)。三代会長(現・名誉会長)の池田大作氏は、参謀室長時代に軍隊式の規律訓練を導入するなど、それをさらに集団本位的な方向へ展開させてのではないでしょうか。そして今では、軍隊式の規律訓練(ex.マスゲーム)がもう若い世代にはそっぽを向かれるようになって、創価学会は進むべき方向を見失っているのではないでしょうか。今こそ、牧口の任侠精神を再評価する必要があるのではないでしょうか。