牧口常三郎の任侠精神

以下の文章は、1983年に行われた「回想の牧口先生」という創価学会会員の座談会の記録です。

和泉 私は戦争から復員して、「牧口先生の顔」という講演を、総会でやったことがあるんですよ。怖い顔と怖くない顔と、冬の寒い夜なんか赤ちゃんおんぶして(熊田註;創価教育学会に)女の人が相談にくる、帰る時にね、牧口先生がおぶい半纏の間に、新聞紙をはさんでご自分で着せてあげるんです。「新聞紙一枚で、きものひとつ分違うんだよ」
 そんなときは、好々爺のおじいちゃんなんだが、さあ怒るとなったら、怖いなんてものじゃない。まず、なんで叱られているのか、よく考えてみないとわからない(笑)。

小泉 喧嘩のやり直しね。上のものとしか喧嘩をするなと、我々は教員だから相手は校長です。それでやり方が弱くてひきさがってこようものなら、もう一回やり直しとくる(竹内労「聞書 庶民烈伝ー牧口常三郎とその時代(上)」三一書房、2008年、p10)。

 「子分の顔を立てる為には自分に不利益なるけんかも買うたことであろう。自分の命を投げ出したこともあり、強を挫き弱を扶(たす)くるを主義とし、義と見れば如何なることにも躊躇しなかった。」と新渡戸稲造が形容する、「幡随院長兵衛もの」に代表されるような「男伊達の精神」を、親友だった牧口もまた体現していたことをよく示している記録です。「上のものとしか喧嘩をするな」と信仰指導していた牧口が、自民党と連立政権を組んだ現在の公明党を見たら、おそらく深く嘆くでしょう。