「人間力」の自己目的化

朝日新聞」8月8日号、夕刊コラム「素粒子」より引用

 「期末の成績が親に分かると自分も怒った親も嫌な思いをする。その前に家族全員を殺して自殺」と父親刺殺の中3少女。
 「不快」を避ける価値観、蔓延。「人に合わせ、人から嫌われないように生きていくのに疲れ、耐えられなかった」とも。

 「人に嫌な思いをさせない」ことは、本来は、「人との関係を大切にする」という目的のための手段に過ぎないはずです。この少女においては、「手段」が自己目的化してしまっています。経済における脱工業化の進展と「ハイパー業績主義」(本田由紀)の浸透によって、若者に高度なコミュニケーション能力(最近では「空気を読む」とか「人間力」と言われる)が要求されるようになってきたことが、この悲劇の社会的背景にあると思います。完全にKY(「空気を読めない」)な人でも、「人間」であることには変わりないことを忘れてはならないと思います。