フェミニズムにおける自己決定論の限界

ー自己決定権とは、他人に迷惑をかけない限り、たとえ本人にとって不利益がもたらされようとも、自分のことを自分で決められる権利のことで十八世紀のスコットランド道徳哲学や十九世紀の英国自由哲学主義の「自由」に関する論議において彫琢されてきた概念である。
ー要するに、かゝる女の新しい思潮(熊田註;フェミニズム)は、何うしても避けられないことであるから、成るべく其説を聞き、取るべきは採り、過激なるところは和らげなければなりません。それには宗教の力が最も適当であるが、日本の宗教には、若い婦人を支配するほどの、偉大なる力のなきことを私は悲しむのであります(新渡戸稲造「自警」『新渡戸稲造全集』第7巻、教文社、1970年(初出1916年)、p.192)。


 日本のフェミニズムが、人権意識が西欧よりも希薄な日本の文化的風土の中で、家父長制やパターナリズム(父性的温情主義)を否定するために、女性の自己決定権を強調する必要があったことは理解できます。しかし、女性の自己決定権を過度に主張すると、援助交際に走る少女が「誰にも迷惑はかけていない」と反論してきた時に、「止めなさい」と言う倫理的根拠はなくなります。さらには、リストカットアームカットオーバードーズ(過剰服薬)といった「故意に自分の健康を害する」症候群(松本俊男)ー松本さんは、現代日本の中高生の約1割に経験があると推定していますーの若者たちが、「誰にも迷惑はかけていない」と反論してきた時に、「止めなさい」という倫理的根拠もなくなります。
 天理教では、「からだは(熊田註;宇宙親神からの)かりもの、心一つわがもの」であり、「(かりものである)からだは、親神さまの意に沿うように使わなければならない」と説きます。これを、「かしもの・かりものの理」といいます。同じような教えは二宮尊徳の文章(「二宮翁夜話」)にも出てきますから、これは近世庶民の通俗道徳だったのでしょう。この教えに照らし合わせれば、援助交際は「かりものを金銭を介して『また貸し』する」ことで、事情がない限り基本的には「よくないこと」として、否定されます。ましてや、買春行為は問題外で、全く容認されません。「故意に自分の健康を害する症候群」も、「『かりもの』を傷つけること」として、基本的には否定されます。ただし、現代の天理教教団が「かしもの・かりものの理」を、現代社会に対してそのように説いている訳ではありません。教団は、援助交際や「故意に自分の健康を害する」症候群のような現代的問題に対しては、対応ができない状態で腰が引けているのが現状です。
 日本のフェミニズムの「過激なるところ」は、宗教によって和らげなければならないのではないでしょうか?


PS.以下は、2ちゃんねるからの転載です。現代の天理教教団が現代的問題に対応できていないことが、よくわかります。
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/utu/1254475237


6 :優しい名無しさん:2009/10/03(土) 03:31:56 ID:VwHqitcM
自傷行為する人で何か宗教を信仰してる人いる?
俺は無宗教者の自分教の崩壊=心の崩壊=自傷行為と観てるんだけど。
7 :優しい名無しさん
:2009/10/03(土) 08:18:34 id:JJ3xvmwN
5ですが、嫁ぎ先が天理教の教会でした(-_-;)
主人と私は神様を信じない質なので、信者のお義父さんに神様の話や唄を覚えさせられるのが凄いストレスになってます。
お義父さんが言うには、病気は神様が治してくれるから心配いらないそうです。医者より神様を信じれば治るそうなwww
拒食と過食繰り返して自殺したお義姉さん(お義父の娘さん)は神様が手元に置きたくて召されたのだと言い張るし。
嫌になるわ。神様なんか糞くらえよ。
お義姉さん大好きだったのに…(>_<)

長文&愚痴スマソ