かもめ食堂―「男らしい国家」からの逃走

 荻上直子監督の映画「かもめ食堂」(2006年)が佳作だったので、群ようこの原作「かもめ食堂」(幻冬舎、2006年)も読みました。本の帯には、以下のようにあります。

 毎日ふつうで、おいしくて、小さいけれど堂々としていました。

 ヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。日本人女性のサチエが店主をつとめるその食堂の看板メニューは、彼女が心をこめて握る「おにぎり」。けれども、お客といえば、日本おたくの青年トンミただひとり。そんな「かもめ食堂」に、ミドリとマサコという訳あり気な日本人女性がやってきて・・・。

 サチエは、「人生これ修行」をモットーとする武道家合気道の師範)の父に育てられた娘でした。ミドリは、天下り役人が集まった小さな会社のお茶くみ OLでした。マサコは、長年にわたる両親の介護から解放された女性。3人とも、現代日本の平均的な普通の女性です。ただの和食がこれほどおいしそうに見える映画を私は見たことがありませんでした。
 「日本人の味覚」を軸にして、「天皇制なきナショナリズム」を構想し、すでに総計一億冊以上売り上げた国民的マンガに、東大全共闘出身の雁屋哲が原作を書いている「美味しんぼ」があります。「グローバル化の中のアイデンティティ戦略」という観点から見れば、共通の味覚を軸にして団結しようという点では、「かもめ食堂」は「美味しんぼ」と同じです。しかし、「かもめ食堂」は、「美味しんぼ」に強く見られる、雁屋哲の男性中心主義的ナショナリズムからの逃走に成功しています。
 「美味しんぼ」は、山岡雄山(三島由紀夫の主張した「美しい天皇」の全共闘版だと私は思います)とその息子・山岡士郎の「父と息子の葛藤と和解」の物語でもあり、「鍛える父ー挑戦する息子」という日本の近代的な「父ー息子」関係を描いています。それに対して、「かもめ食堂」には、「美味しんぼ」に見られる、「アメリカを見返してやる」というヘンな気負いがなく、外国において普通の日本人女性ばかりが現地の人を客として運営する食堂の日常を淡々と描いて、「『男らしい国家』(Manly State)からの逃走」に成功しています。群ようこは、現代日本のエリートではない「フツーの働く女性」にたいへん人気のある作家です。「かもめ食堂」は、日々「オヤジ」たちに苦労させられている現代日本の「フツーの働く女性」の夢を描いた作品だと思います。