「宗教と社会」16号原稿

*学会誌「宗教と社会」16号(2010年6月刊行予定)より

報告2. 天理教教祖は強い父の夢を見たか?―日本の宗教界と宗教学の共犯関係―

 この報告では、天理教の女性教祖・中山みき(1798-1887)は「生涯強かった父の面影を追っていた」という、島薗進天理教教祖論(「強い父」仮説)を素材として、日本の宗教界と宗教学が、男性中心主義という点で共犯関係を結んでいることを批判する。
 東京大学島薗進は、天理教教祖が、外孫の中山真之亮(初代真柱=教主)が誕生したときに、「今度、(熊田註;みきの三女の)おはるには、前川の父の魂を流し込んだ。しんばしらの真之亮やで。」と語ったことをただひとつの実証的根拠として、「みきは生涯にわたって、強かった実父の姿を追い求めていたように思われる」と論じている(島薗、1977;p.214)。しかし、これは論旨の飛躍であろう。1.前川の父が「強い父」であった、2.みきが前川の父を尊敬していた、という実証的根拠が、どちらにもない。
 「天理教教祖は、確かに『雄松雌松にへだてなし』と男女平等を主張したが、家父長制を全否定していたわけではなかった」というのが現在の天理教学の主流派の見解だと思われる。島薗は、後の論文で、みきは近世的な家とも性別分業を特徴とする近代家族とも異なる「近代庶民家族」を展望していた、と主張する(同上、1998)。私も、この見解には賛成である。それでは、島薗は「みきは生涯にわたって、強かった実父の姿を追い求めていた」という上述の見解と、みきは「近代庶民家族」を思い描いていた、というこの見解は、どのような関係にあるのだろうか。この点については、島薗は、「みきは男女平等と家的なものとの間で揺れていた」と見ている。しかし、夫婦関係という基本的な事柄について見解が揺れていた教祖に信者がついていったとは考えにくい。
 私は、みきは家父長制に関しては、確かに革命主義者ではなかったが、改良主義者だった、と見ている。みきが家父長制に関して改良主義者であったことがよく表れているのが、『稿本天理教教祖伝逸話篇』に所収されている「逸話五七 男の子は、父親付きで」だと思われる。この逸話で、性器を煩った男の子を教祖に会わせると、教祖は、「家のしん、しんのところに悩み。心次第で結構になるで。」と発言している。そして、なかなか治らないと、信者から「『男の子は、父親付きで。』とお聞かせくださる。」というアドヴァイスを受け、父親が連れてきたら、たちまち全快した、という逸話である。この逸話から、天理教教祖が、1.男性(父−息子のライン)が家の「しん」であるという当時の社会的通念はとりあえず認めていた、2.しかし、同時にその「しん」を変えなければならないと考えていた、ということがわかる。
 教団初期の有力な女性布教者であった中川よしの場合、自分がひたすら信心に打ち込むことによって、女道楽だった夫を感化して、最後は夫も布教師にしている。私は、中山みきと夫・善兵衞の関係も、そういう「妻による感化型」の関係、妻に感化されて夫もゆっくりと回心していったという関係だったのではないか、と推測している。
 天理教教祖が「雄松雌松にへだてなし」と主張する、男女平等思想の持ち主であったことは間違いない。しかし、1887年に教祖が逝去すると、教祖の男女平等思想は、近代の良妻賢母規範におされて、教団の中ではたちまち霞んでいった。島薗進の十分な実証的根拠に欠ける「強い父」仮説が宗教学会賞を受賞したのは、なぜだろうか。それは、「強い父」仮説が近代の良妻賢母規範と矛盾しない学説だったからであろう。天理教の女性教祖は、「生涯強かった父の面影を追っていた」という学説は、近代の家父長制を維持するのにも都合がよかったのではないか。宗教学会賞の審査にあたるような年配の男性研究者は、近代の男性中心主義を内面化してしまっている。逆に、中川よし夫婦の場合のような「妻に感化されての夫の回心」が教団および研究者に軽視されてきたのは、近代の良妻賢母規範が説く「夫唱婦随」の関係に反していたからではないか。その意味で、天理教と日本の宗教学は、男性中心主義という点で共犯関係を結んでいたと言えるだろう。
 島薗の「『強い父』仮説」に見られるような男性中心主義的発想は、東大宗教学科初代教授・姉崎正治天理教二代目真柱・中山正善との共犯関係にまで遡って批判されなければならないだろう。東京帝国大学哲学科教授・井上哲次郎は、「妻は夫に服従すべきである」とはっきりと主張していた。東京帝国大学宗教学科教授・姉崎正治は、井上に師事していた。天理教の現行の教典を編集した天理教二代目真柱(=教主)・中山正善は、東京帝国大学で姉崎に師事していた。島薗ほどの優れた研究者ですら、日本の宗教学のこうした男性中心主義の伝統から完全には自由でなかったのではないか。
(以上の論の詳細については、[熊田2009]を参照されたい)
<参考文献>
熊田一雄2009「天理教教祖は強い父の夢を見たか?―宗教界と宗教学の共犯関係―」『愛知学院大学人間文化研究所紀要』
  24:43-50。
島薗進1977「神がかりから救けまで」『駒沢大学仏教学部論集』8:209-226
島薗進1998「中山みきと差別・解放―疑いと信仰の間・後記―」池田士郎・島薗進・関一敏『中山みき・救いと解放の歩み
  ―その生涯と思想』明石書店、118-134。
天理教教会本部(編)1976『稿本天理教教祖伝逸話篇』天理教道友社、98-100。