天理教教祖夫婦の関係について

 池田士郎さんの労作「中山みきの足跡と群像ー被差別民衆と天理教」(明石書店、2007年)を再読しました。「ひながた(=信仰の模範)・善兵衞」という視点を明確に打ち出されたのは、池田さんの大きな学問的功績だと思います。しかし、先駆的研究者の常として、率直なところ私には「勇み足」と思える分析も多いです。
 例えば、教祖みきの「明日は、家の高屏を取り払え」という発言を根拠として、「教祖は夫・善兵衞に家父長権の放棄を厳しく迫っていた」と推測するのは、証拠不足で無理だと思います。私は、教祖夫婦の関係は、中川よし夫婦などの場合と同様、「夫・善兵衞は妻・みきに感化されてゆっくりと回心した」と考える方が自然だと思います。島薗進さんの、実証的根拠のない「強い父」仮説が宗教学会賞を受賞したのは、近代の良妻賢母規範と矛盾しない学説だったからでしょう。逆に、中川よし夫婦の場合のような「妻に感化されての夫の回心」が教団および研究者に軽視されてきたのは、近代の良妻賢母規範が説く「夫唱婦随」の関係に反していたからでしょう。
 実存的にはおよそ女性的な島薗進さんがマッチョな「強い父」仮説を唱え、実存的にはおよそマッチョな池田士郎さんが、過激な「ドロップアウトの勧め」を唱えているというのも、皮肉な話です。ちなみに、島薗家は代々婿養子だそうで、島薗さんの男性性は「マスオさんの男性性」なのだと思います。私自身は、ジェンダーに関して保守的な京都で生まれ育った長男で、内面化してしまった男性中心主義を実存的に脱却するために男性性研究をしています。