怪物神はなぜ流行らないのか?

 私が「怪物神」と呼ぶものを信じているのは、スチュアート(熊田註;著者のクライアントの名前)だけではない。同じような神概念、存在についての荒涼とした恐ろしい考えにとりつかれている患者を、私は何人か知っている。怪物神のイメージが、人の心にそれ程なじんでいないのは、むしろ不思議なくらいである。第一部で述べたように、子どもの目に両親は神のような存在として映っており、何事であれ親のやり方が、あまねくこの世界でなされるべきやり方なのである。神の性質についてのわれわれの最初の(不幸にしてしばしば唯一の)考えは、両親またはそれに代わる者の性質を混ぜ合わせたものにすぎない(M・スコット・ペック「愛と心理療法創元社1987;p199)。
 ペックが「怪物神」と呼ぶものは、グノーシス主義と考えて良いでしょう。現代の先進国でグノーシス主義がもしもかつてよりも流行しているとすれば、それは、両親が「不幸にして唯一の」神のイメージになるような、「閉ざされた近代家族」が増加したからでしょう。