救いを「待っている」人々

 以下の文章は、作家・安部公房(1924-1993)のノートです。カフカの短編小説を思わせるシャープな短文です。

 二人の浮浪者の話。自殺したがっている浮浪者の訴えを聞いて、仲間の浮浪者がすっかり同情してしまう。どこかで手に入れた残り物のウイスキーで酒盛りをする。二人で適当な死に場所を探して歩く。やっと某所でいい枝振りの松をみつける。自殺志願の浮浪者が首をくくるのを、仲間が親切に手伝ってやる。自殺者が発見されたとき、その仲間は近くの石に腰をおろして泣いていた。警官の尋問に対して、男はただ「待っていた」とだけ答えた。「何を待っていたのか」と聞かれても、それに答えることはできなかった(安部公房「笑う月」新潮文庫1984年、p34-35)。

 現在、例えば釜ヶ崎支援機構(http://www.npokama.org/)などが野宿者支援活動を行っていますが、こうした「アンダークラス」の人々の問題に対する現代日本の宗教界の動きは、まだまだ鈍いと思います。物質的救援だけではなく「救済」を「待っている」人は今後も増加する一方だと思います。現代日本の宗教界は、鈍感という誹りを免れないでしょう。