研究

社会学者の条件

上野千鶴子さんが、社会学者の条件として、「一に好奇心、二に尻軽さ、三四がなくて、五に知力」と挙げていました。それだったら、社会学者は私にも務まる気がします。

研究者と精神病理

「ひょっとすると、研究者というものは自分から最短距離の病気を研究することで発病を防止しているのかもしれない」(木村敏)―精神病理学者だけではなく、宗教研究者にもそういう傾向があると思います。というか、人文社会科学のいい研究者は、一定そうでし…

学の継承とは

だが、見田さんに影響を受けたひとびとは、「根源的に考えること」という姿勢を学んだのだと思う。わたしの師匠は吉田民人さんだが、わたしは彼の研究テーマも学風も学ばなかったのに、「理論の博打打ち」としての姿勢だけは学んだ。師が何を言ったか、何を…

研究のアンテナ感覚

私は、元宗教学会会長に「われわれの貴重なアンテナ」と評されたことがあります。カウンセラーの信田さよ子さんの本を論文に引用したのも、日本で一番早かった。ゴールデンボンバーの『女々しくて』に注目したのも、TBSでレコード大賞の番組ディレクターをし…

私の学風

私が大学院生の頃、師匠の島薗先生は、「熊田君はセンスがいいんだが、論証が粗い」と評していたそうです。才気に頼って地道な実証を怠りがちな点は、いまも変わっていません。深く自戒したいと思います。

故・小野泰博先生

私は、師匠の島薗先生を目標にしようなどと無謀なことは、一度も考えたことがありません。私は自信満々に見えるらしいのですが、実は身の程はちゃんとわきまえています。私が目標としてきた研究者は、故・小野泰博先生です。「宗教と精神医学」という関心を…

研究者の養成について

一般論ですが、研究者の養成はデリケートな作業で、教員が優秀すぎると、学生は却って伸びません。学生が、教員との学問的力量の差に絶望して、教員から強引に差異化をはかって自滅したり、教員に対して過度の依存心を持つようになるのです。私が、師匠の島…

プロとは

棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある(升田幸三)。 これをもじれば、「宗教学者は無くてもいい商売だ。だからプロは読者にとって考えさせる論文を書く義務がある。」

研究における独創力について

研究者の業界は、「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しく」という、露骨な格差社会です露骨な格差社会です。研究における独創力とは、要するに「意外な二つのものを結びつける力」であり、それを産むためにはどうしても「ゆとり」が必要です。…

カンとは?

私には、図書館や書店でふと手に取った本のふと開いた頁で必要な情報をゲットすることがしばしばあります。別にオカルトめいたことを言っているわけではありません。意識の皮一枚下で、同じ問題を考え続けているのでしょう。

認知行動療法と精神分析療法

(前略)しかし、残念ながら間もなく起こった学園紛争でこの興味ある試みも頓挫せざるを得ませんでした。今日も私は、こういう形でカウンセラーに精神科教育をする時代がくればよいのに、と思っています。それも新人ではなく、一定の経験を積んだ人が対象と…

アンテナ感覚

私はどうして研究者としての「生き残り」に成功したのか?IQ?要領?確かに私のIQは平均よりはずっと高いけれども、東大なら普通でしょう。また、私は要領の悪い不器用なタイプです。私の研究者としての長所を強いて挙げれば、1.カンがいい、2.集中力が…

学者幻想

世間には「学者幻想」が根強く残っていますが、大学教師もそもそも見た目ほど楽な仕事ではない上に、どんどん世知辛くなっています。私の場合、一日3コマも教えると、翌日の半分は活字が読めなくなり自然に目を閉じてしまいます。おそらく、脳の言語中枢と…

大澤真幸氏の言論活動について

太田出版の雑誌「アット」は、時々面白い論考が載るので、私は定期購読しています。しかし、大澤真幸氏のような、セクハラで大学を事実上クビになった学者をいまだに起用し続けていることには、日本のマスメディアに根強いマチズモ(男らしさ偏重)を感じざ…

私の学問

私は、独自に学問を切り開いていくというタイプの研究者ではなく、時代状況をその都度インテークして学問を作っていくタイプの研究者だと思います。もし私の宗教研究に光るところがあるとすれば、それは自分で発光しているのではなく、島薗宗教学という巨大…

日本の宗教と「斜めの関係」ー天理教と脱ひきこもりー

『人間文化研究所紀要』27号原稿(2012年9月刊行) <題名>日本の宗教と「斜めの関係」―天理教と脱ひきこもり― <著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授) <Title>Japanese Religion and “Oblique Relation ”:Tenrikyo and Datu-Hikikomori <Author>Kazu…

日本の宗教と「斜めの関係」ー不登校・ひきこもりを再考するー

この春休みに書く論文は、「日本の宗教と『斜めの関係』ー不登校・ひきこもりを再考するー」に決定しました(私は、年に最低でも2本、修論レベルの論文を書くことをノルマにしています)。不登校・ひきこもりが「治った/治した」という話は、大学の宗教学科…

文系の大学院

西部邁さんがどこかで書いていましたが、文系の大学院に進学する人の7割は、人とまともに挨拶できないような、昔なら「分裂気質」と言われたタイプの人間で、その少し歪んだ気質を利用してひたすら細かい研究をすれば、35歳くらいまではそれなりのアウトプッ…

次の論文

次の紀要論文のタイトルは、「東日本大震災と『聴きだすけ』」に決定しました。そろそろ資料集めに入ります。

ポストコロニアル

小森陽一『ポストコロニアル』(岩波書店、2001年)を読了しました。この人、マルクス主義者なのね。午後は、豊泉周治『若者のための社会学ー希望の足場をかけるー』(星雲社、2010年)を読みました。地味だけれどもいい仕事をしている研究者です。

春休みの論文

大学教員は論文を書かなくてもクビにはなりませんが、怠け出すときりがない仕事なので、私は最低でも春休みと夏休みには修論レベルの論文を1本ずつ書くことにしています。今度の春休みに書く論文は、「森田療法と日本の新宗教ー天理教の事例ー」にすることに…

小説『1Q84』における悪の表象について

『愛知学院大学文学部紀要』40号原稿(2011年3月刊行) <題名>「小説『1Q84』における悪の表象について」 <著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授) <Title>About the Representation of the Evil in the Novel “1Q84” <Author>Kazuo KUMATA(Associate…

論文要旨

『愛知学院大学文学部紀要』40号ノート<題名>「小説『1Q84』における悪の表象について」 <著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授) <Title>About the Representation of the Evil in the Novel “1Q84” <Author>Kazuo KUMATA(Associate Professor of De…

次の論文

次の論文は、『小説「1Q84」における悪の表象について』に決めました。9月末の〆切に向けて、資料収集を始めました。

任侠ヘルパー

今日は、大学図書館に注文しておいたTVドラマのDVD『任侠ヘルパー(1-7)』を、週末に見るために、借り出しました。

次の論文

そろそろ、次の論文について考えなければならない時期になりました。極端な話、もう1本も論文を書かなくても大学をクビになることはありませんが、怠け出すと歯止めがきかない仕事なので、修士論文レベルの論文を年に最低2本は書くことにしています。次の〆…