日本の宗教と「斜めの関係」ー天理教と脱ひきこもりー

『人間文化研究所紀要』27号原稿(2012年9月刊行)


<題名>日本の宗教と「斜めの関係」―天理教と脱ひきこもり―
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)


<Title>Japanese Religion and “Oblique Relation ”:Tenrikyo and Datu-Hikikomori
<Author>Kazuo KUMATA(Associate Professor of Department of Religious Culture)


<要旨>
 本稿の目的は、天理教の修行コースに参加したことを契機としてひきこもり状態を脱したという体験談を分析することによって、「不登校・ひきこもり」問題に関して日本の宗教界が貢献できることを考察することにある。最初に、天理教信者の体験談を紹介する。次に、精神科医高岡健が、精神科医の笠原嘉の議論を踏まえて、「不登校・ひきこもり」問題の解決の鍵として、「無用者」との「斜めの関係」を強調していることを紹介する。そして、「無用者」との「斜めの関係」がフィクションに描かれている例として、日本アニメ「ムーミン」におけるムーミンスナフキンの関係を考察する。最後に、日本の宗教界は、子どもたちに「斜めの関係」を提供できる可能性をもっていることを見る。


<キーワード>
不登校・ひきこもり/日本の宗教/無用者/斜めの関係/アニメ「ムーミン


1.不登校・ひきこもりと日本の宗教
 不登校・ひきこもりは、現在、日本社会で大問題となっている。本稿の目的は、天理教の修行コースに参加したことを契機としてひきこもり状態を脱したという体験談を分析することによって、「不登校・ひきこもり」問題に関して日本の宗教界が貢献できることを考察することにある。


2.天理教信者の体験談
 最初に、天理教信者が「修養科」(3ヶ月の修行コース)に参加したことを契機として、ひきこもり状態を脱することに成功したという体験談を紹介する。ネット上の「NHK 福祉ネットワーク ひきこもり情報」より脱ひきこもりの体験談を転載する。公共放送が紹介している事例なので、天理教という教団名は出てこないが、文章の内容からしてこの体験談に登場している宗教は、天理教かその分派教団だと思われる。分派教団である可能性もあるが、便宜上以降後この宗教は天理教であると仮定して議論を進める。


*2日しか行かなかった高校、ひきこもり、全寮制の学校からの脱走・・・・そんな僕に自信をくれた3ヶ月
東京都 大学生Kさん (22才)(ママ)

 僕は以前、1年間ほどひきこもっていた。ひきこもってしまったのは高1の時だ。ぼくのひきこもりは精神的にとても辛く厳しいものだった。常にその頃は外に出たいと思っていたけれども、出ることができなかったのだ。
 僕は今年の春に定時制高校を4年で卒業し、現在大学生をやっている。しかしその前に学校を二回(ママ)、退学してしまったから、大学のクラスメートより三年(ママ)も遅れている。今考えても、どうして辞めてしまったのだろうと後悔している。本当に辛い過去だ。それを忘れることは生きている間、多分ないであろう。僕だけ苦しむのはまだしも、親や姉にも迷惑をかけてしまった。本当に情けなく、くやしいかぎりである。
 僕が学校をなぜ辞めてしまったのか。率直にいうと自分の精神的な弱さにあると思う。子供の頃から、ある相手に対して全く自分の意見がいえなかった。このような人は、世の中にもいっぱいいるといわれるかもしれない。でも、僕の場合は特に他人のささいな一言をものすごく気にしてしまい、それ以外何も考えられなくなってしまう。最終的にパニックにおちいり、どうしたらいいかわからなくなる。その時の気分は絶望感でいっぱいである。簡単にいえば異常な神経質タイプと推測できる。
 小学校時代は、けっこうたくさんの友達に恵まれ、楽しく過ごせたと思う。でも、この頃から僕はすでに臆病で自信が全くなかった。僕も友達をつくって外で思いっきり遊びたいと心の中では思っていたが、口ではなかなか「遊ぼうよ」と言い出せないのである。断られたらどうしようとか、自分のことをはたして友達と認めているかと不安になるからだ。だから、たいてい友達から「一緒に遊ぼうよ」の言葉を待つだけであった。僕はいつも友達をつくろう、友達と遊ぼうと思っていた。孤独がこわくて、一人じゃ不安でしょうがなかったのだ。この状態になると嫌われるのがこわくて、無理にあわせようとしてしまい、友達の意見にたいしてNoと考えていてもYesと答え、もう全く自分の意見がなくなるのである。
 僕の特技といえば唯一、走ることであった。今は一般人並だが、当時は学年で一、二を争うほど俊足だった。僕のとりえは足が速いことしかなかったが、それがあるからめげずにやっていくことができ、小学校はほとんど休むことなく無事に卒業できた。
 中学校はマンモス校で、一学年で九クラス(ママ)あった。小学校のとなりにあったため、僕と同じ小学校の人はほとんどこの中学校に入り、知っている顔がいっぱいあって通いやすく思った。しかし、周囲に足が僕より速いやつが大勢いて、はじめはものすごくショックをうけ、ガックリした。得意なものがなくなってしまい、心の支えがなくなってしまったのである。時がたつにつれ、だんだん心の落ち着きを取り戻したが…。中学では友達はあまりできなかったが無事卒業できた。
 県立高校に入学した。そこは自宅から近くて通学しやすかった。でも、たった二日で行かなくなった。原因は、自分の心の問題でもあるし、クラスに知っている人がほとんどいなかったということもある。その時は精神的に不安定で、何も手につかない状態だった。それからの僕は何もすることがなくなって、一年間ずっと家にひきこもってしまった。本当になにもない一年間で、毎日退屈で、ゲームばかりしていた。学校に入学した意味がなく、むしょうに自分が情けなく自己嫌悪した。
 僕に転機がおとずれたのは、学校を退学した翌年である。親戚にあたる人で教会長をやっている人物と初めて会った。その人が寮制の学校を紹介してくれたのだ。今度こそ頑張ろうと思ったが長続きせず、僕はまた二日でやめた。その学校は地方にあったため、寮から脱走したのである。僕は、パニックになった。絶対に死のうと思った。けれど、そんなことは到底できず、また僕の目の前は暗闇に閉ざされた。
 学校をやめて一ヶ月たったころ、教会長から修養科というところに入らないかという電話があった。あの頃の僕はというと、無気力で何もやりたくなくて、すべての物事にたいして否定的に考えてしまっていた。修養科といったら早寝早起きの規則正しい生活をしなくてはならないし、苦手な共同生活をしないといけないから、まず絶対無理だと思ってしまったのである。何とかしてそれから逃げられないかといろいろ考えた。でも、親がそれを許さないと言ってきた。両親、いや母親にものすごく追い立てられていたので修養科に行かないなんて許されなかった。最初、僕はそれでも絶対行くもんかと抵抗した。時には暴力を振るってしまったことも正直ある。母親は暴力には動じなかった。僕はそんな母親を見て、自分にたいして罪悪を感じた。自分はなんて情けないのだろうと反省した。そういうこともあって、本当はどうしても行きたくなかったが、僕が折れた感じになったのである。
 僕が入ったとき、修養科では約20人が共同生活をしていた。部屋割は、男と女で分けてあり、僕の部屋は全員で6人だった。朝は5時に起き、夜は9時30分に消灯するのだが、最初は5時なんて早過ぎて眠くて眠くてしかたなかった。まさに規則正しい集団生活だったので、最初はなかなか慣れなかった。しかし、部屋のみんながとても親切で、そんな時「眠いけど頑張ろう」といってくれ、少し励みになった。僕は消極的で自分から人に話しかけない性質だったけど、何か困っているといろいろと進んで教えてくれ、いろいろサポートしてくれた。
 当時僕は17歳で自分が一番年下だった。周りの人はみんな成人でしかも定年すぎのおじさんが二人くらいいて、かなり歳の差のギャップがあった。でも、むしろそのほうが良かったのではないかと思う。なぜかというと同年代より年上の人のほうが話しやすいし、付き合いやすいと思っていたからだ。本来ならそれは逆なのかもしれないけど、僕の場合はそうだった。周りの人が親切な人ばかりだったので、いろいろな面で助けていただいた。本当に部屋のみなさんにはお世話になり、感謝でいっぱいである。修養科三ヶ月を通わせてもらえたのも、決して自分の力だけではなく、同期生の心強い支えがあったおかげである。
 そして、やっとの思いで修養科三ヶ月間を終え、ようやく実家に戻った僕は、以前と違って達成感と自信にみちあふれ、意欲満々だった。初めてバイトを始めたが、長続きはしなかった。でも偶然、そのバイト先で都立定時制高校に通っている人と知り合うことができた。教えてもらった定時制高校は、自宅から自転車で十分あまりのところに位置していた。その人にすすめられたというのもあるし、自分でも高校は一度中退してしまったが、また通ったほうがいいと思っていた。親も高校だけは出たほうがいいという意見であった。それで定時に通うことを決意したのである。
 定時制高校も、卒業しないつもりで入学したわけではないが、無事卒業できるなんてちっとも思っていなかった。しかし何とか4年で卒業し、大学受験も無事クリアして、現在に至っている。僕はすごく遠回りしていた。でも、僕にとっては、むしろこのひきこもりという経験によって、自分がひとまわり成長できたと思う。僕の心にはまだ不安な気持ちがいっぱいあるが、常に前を向いてめげずに、そして向上心をもって頑張っていこうと思う。
 最後に言いたいのは、引きこもりの人は「劇的には変われない」ということである。実際、僕は運がいいのか引きこもりから短期で抜け出せたが、徐々に自分は変わっていっていたと思う。しかも、眼では到底わからないほど、ゆっくりでスロースピードで。それは、本人も見分けがつかないほどだと思う。僕の場合は着実に少しづつ(ママ)変わっていったのだ。たった今ひきこもっている人にいいたいのは、神経がものすごくすりへるほど自分のことを見つめなおすだけではなく、もっと開放的になって自分の好きなことや趣味をたのしんで時には気休めをして欲しい。自分を責めつづけないよう気をまぎらすことも必要だと思う。自尊心を大切にして、日常生活を過ごして欲しいと思う。
 それと、引きこもり生活で重要なことは体を鍛えることだと思う。引きこもり生活が長期化してしまうと、その分歩く距離が激減してしまい、体力が無くなる。たとえば、腰痛になったり、長時間立ちつづけることが困難になってしまい、ただでさえ、精神的に弱っているのに体力が落ちてしまうと行動の範囲が狭くなってしまう。そうなると意欲ややる気がめっきり減ってしまうと思う。だから、体力が落ちないように簡単な腹筋や背筋や腕立て伏せ等をしたほうが賢明だと思う。自分がいつか家を出られることを信じつつ。


2.「無用者」との「斜めの関係」の重要性
 児童精神科医高岡健は、「不登校・ひきこもり」問題の解決のためには、「無用者」との「斜めの関係」が重要であると主張している。

(前略)斜めの関係がいいということ、親とか校長先生とかが縦の関係で引っぱり上げるのは絶対だめだということ、それから、ひきこもりの若者同士で無理やり集団をつくらせて競い合わせるような方法も絶対だめだということです。
むしろ、年齢的に叔父や叔母に相当する人との、つながりが一番いいのです。ここでいう年齢とは精神年齢のことで、生理的年齢がどうであれ、精神年齢が叔父や叔母であればいいのです。それと同時に、無用者がいいんだということ(高岡2011、p.121)。

(前略)後ろから見守るのがいいわけで、無用者は、そういうポジションを取りやすいのです(同上、p.122)。

 自分よりやや歳が上で、しかも立派でない人を、常に想定しておくのです。その人だったらどのように振る舞うだろうか。自分に対してどのように語るだろうか。(中略)これが、自分への対話になっていくと思うんですよ(同上、p.221)。

 高岡の「無用者」との「斜めの関係」についての議論は、精神科医の笠原嘉の考察を踏まえたものである。

 精神療法家はつねに多少とも叔父的(叔母的)立場に身をおくよう努めているのだと思う。それは父親―息子の関係に対して斜めだというだけでなく、時代や社会の要精に対しても斜めの、いささか無用者的なニュアンスを必要とする。少なくとも学校嫌いや職場嫌いの治療家たるためには、そういう条件が要るのではないだろうか。この場合の治療家は、説教好きの、権威好きの、自己愛的人間であってはいけないようだ(笠原1977、p.122)。

 しかし、ここでいう父親不在の根を今日の父親年齢の男たちのだらしなさに求めるのは単純にすぎよう。われわれはくりかえしみている。平均以上の偉大な「男らしい」父親と従順な息子という組み合わせからも困難はいくらでもおこりうることをみている。それから、一般に今日権威的武断的な治療方法は学童期の子どもに対してならいざしらず、青年期も後半に入った人に対しては、まず負の効果しかないことも、われわれは知っている。とくに高学歴者に対してはそうである。高学歴化・中産階層化が不可避的に権威―服従軸を弱化しつづけるかぎり、父不在、尊敬の不毛という現代的不毛はつづくであろう。そうであってみれば、明治大正の「父」を今日探し求めることはおよそナンセンスといわなければならない。尊敬、畏怖、帰依といった関係が不毛になるにつれて、儀式はその内実を失う。成人式などはその最たるものであろう(同上、p.214)。(1)


4.日本アニメにおけるムーミンスナフキン
 この節では、高岡の強調する「無用者」との「斜めの関係」がフィクションに描かれている例として、日本アニメ「ムーミン」におけるムーミンスナフキンの関係を考察する。
 高岡のいう「無用者」との「斜めの関係」をフィクション作品に探せば、日本アニメの昭和版における「ムーミンスナフキン」の関係がそうだろう。スナフキンとの交流がなければ、ムーミンの内面世界はずっと貧しいものだっただろうし、昭和版のアニメ『ムーミン』は、そもそも日本アニメの古典にはならなかっただろう。昭和版の日本アニメにおけるスナフキンの「渋い大人」という造形は、トーベ・ヤンソンの原作とはまるで違う。意識的にしたことか無意識的にしたことかはわからないが、アニメのプロデューサーは、おそらく日本の仏教的伝統をスナフキンに重ねたのだろう。

1.スナフキンは、われわれが“さよなら”してしまった何かを思い起こさせる存在
 われわれは幼い頃に、程度の差はあれスナフキンに近い人間と巡り会っているのではないでしょうか。事実上は“お兄さん”で、自分より一歩も二歩も先にいる存在なんだけれど、自分勝手な思い込みかもしれないけれども、それでも友だちなんだ、と。ところが、人間は成長するにつれて、先輩後輩関係をはじめ、上下関係が基本となる世の中の考え方に染まってしまう。いつの間にか、幼少の頃の豊かな関係性と“さよなら”してしまっているんです。
 アニメ版の最終話で、冬眠につくムーミンと南の国に旅立つスナフキンの別れのシーンが象徴するように、スナフキンはつねに“さよなら”という言葉とオーバーラップする存在なのではないでしょうか?私はスナフキンのことを考えるたびに、心の中にさまざまな過去や記憶への郷愁の思いが沸き起こります。どの時点なのかはっきりわからないのだけれど、いつの間にか“さよなら”してしまった関係性や思いについて、何度も思い出し、その意味を咀嚼しながら今まで生きてきたように思うんです。
 “さよなら”と向き合うことで、私は、自分自身の哲学を生み出し、育んできました。私にとって、アニメ版『ムーミン』は哲学の源泉そのものであり、“さよなら”そのものなのです(「瀬戸一夫インタビュー」『ダ・ヴィンチ』2005年12月号、p.25)。

2.アニメーションでのスナフキンと、原作のスナフキンって逆の行動をするのが面白いです。アニメではみんなの様子を陰から見守り、重要なところで出てきてキーワードを残してまた去ってゆくような感じですよね。それに対して原作のスナフキンは、普段はいろいろ言うくせに、ここぞって時にいなくなってしまう(笑)(祖父江慎スナフキンは二重人格!?原作とアニメは正反対」、同上、p.16)。

3.スナフキンは原作ではムーミンと同じくらいの子ども、という設定。ところが、アニメではお兄さん格の大人として描かれています。これが良かったのだと思います。とても頼もしくて一緒にいたい存在だ、と見ている子どもたちにも感じられたでしょう。アニメの中でもスナフキンが旅に出る場面が多くて、「さようならスナフキーン」と叫んでいると、私自身も寂しくなりました(岸田今日子スナフキンが旅に出ると私も寂しくなりました」、同上、p.24)。

 これらの証言は、日本の虫プロ版アニメ『ムーミン』(1969年・1972年)の視聴者であった当時の子どもたちが、ムーミンスナフキンの関係に高岡のいう「無用者」との「斜めの関係」を見ていたことを示している(2)。


5.日本の宗教界と「斜めの関係」
 高岡の提案する「斜めの関係」というアイデアは、既に日本の文部科学省にも取り入れられている。文部科学省は、そのホームページにおいて、「学校は、地域の人材を活用して「ナナメの関係」をつくろう!」と題して、次のように主張している。

 社会全体で子どもを育て守るためには、親でも教師でもない第三者と子どもとの新しい関係「ナナメの関係」をつくることが大切である。地域社会と協同し、学校内外で子どもが多くの大人と接する機会を増やすことが重要である。

 しかし、文部科学省が笠原=高岡のいう「斜めの関係」の意味をあまり理解できていないと思うのは、スクールカウンセラーをその中核と考えている点である。臨床心理士は、「士(さむらい)商売」の「先生」であって、高岡のいう「(世俗的権威と無縁な)無用者」ではない。また、高岡のいう(子どもたちの)「他者参照」の対象にはなりにくい変わった人が、スクールカウンセラーになっていることがあることも気になる。高岡も、精神科医臨床心理士のような「心の専門家」に過大な期待を抱かないように、次のように注意している。

 ひきこもりに関してのご質問でしたら、先程も言ったように、たいていの医師は私も含めて元「田舎の秀才」です。彼らは人生において大した苦労をしていませんから、ひきこもりの心理を実感できにくい。ひきこもりを肯定してしまうと、それまでの自分の人生を否定されたかのように、感じてしまいがちなのです。そのことを知っておくと、精神科医に対する過剰な期待はなくなるでしょう(高岡、同上、p.208)。

 私は、一般的には、スクールカウンセラーよりも宗教者のほうが、1.「(世俗的権威と無縁な)無用者」である、2.(子どもたちの)「他者参照」の対象になりうる人生経験豊富な人が多い、という点で、「斜めの関係」の中核にふさわしいことが多いと思う。「スナフキン」に、心理学的知識が特に必要だとは思えない。
 精神科医中井久夫は、日本の家族と精神医療の関係について、次のように述べている。

(前略)こういう治療の「支援組織」(サポート・システム)を構想する時、やはり日本の家庭の、各自がせい一杯努力してよくやく維持しているひよわさ、ちいささ、そして孤立しがちな点を思う。欧米の場合には教会が依然として軽視できないサポート・システムである。「隣人」という概念も聖書にあるように単なる隣近所の人という意味を超えたキリスト教的概念で、愛の対象とされている。万事がうまくいっているとはいわないが、しかし、あるとないとは大違いである(中井1991=2011、p.112)。

 日本の宗教も、もっと「家族のサポート・システム」としての役割を果たすべきではないだろうか。

 また、中井は、現代日本の家族について次のようにも述べている。

今日、核家族化ということが言われているけれども、大家族同居の禁はすでに秀吉が発していて、江戸時代すでに同居している家族の人数はきわめて少ない。中国ですら、「四世同堂」(曾祖父から四代同居すること)は有産階級の象徴であり、憧れの的ではあっても、ごく一部にしか実現していなかった。戦後問題となるのはむしろオジオバとオイメイ間あるいはイトコ同士の交際と相互扶助の現象であって、これが一般に大家族の崩壊と受け取られているのである。人口の流動化と、また、とくに産児数の減少と関連した現象である(もしひとり子が三代続けば、伯叔父母、従兄姉弟妹は存在しなくなる)。
 伯叔父母が提供していたものは「父」「母」の原型の否定面を和らげる力である。また一個人が「元型的」なものを荷なうという重すぎる荷を救う。イトコとの交際は視野の拡大を与える(同上、pp.39-40)。

 この文章が書かれてから日本で少子高齢化はさらに進行し、日本はいわば「オジオバなき時代」になりつつある。「不登校・ひきこもり」問題の解決のためには、笠原=高岡の強調する「オジオバ的な存在」との(タテの命令関係でもヨコの競争関係でもない)「斜めの関係」が重要である。現代日本で「ひきこもり」が増加しつつあることの一因は、日本がいわば「オジオバなき時代」になったことにあるのだろう(3)。
 第一節では、天理教の修養科(修行コース)に参加したことをきっかけとしてひきこもり状態を脱した事例を紹介した。この人の場合は、修養科での人間関係が、笠原=高岡がその重要性を強調する、タテの命令関係でもヨコの競争関係でもない「斜めの関係」を提供したのであろう。「オジオバなき時代」である現代日本において、日本の宗教界は、タテの命令関係でもヨコの競争関係でもない「斜めの関係」を提供できる貴重な集団として、もっと自信をもってよいのではないだろうか。


<註釈>
(1)笠原のこの議論は、そのまま1990年代後半に登場した保守派による「父性の復権」論(林1996)に対する批判になっている。
(2)日本アニメ『ムーミン』には、昭和版と平成版があるが、最初に昭和版が登場したのが1968年・1972年だったのは、子どもたちが現実生活において笠原=高岡のいう「オジオバ的存在との関係」を失い始め、フィクションにそうした「斜めの関係」を求め始めた時期だったからではないか。
(3)現代日本の子どもたちの抱える問題の原因として、しばしば「重すぎる母、無関心な父」(信田2011)が挙げられる。しかし、両親の問題の背後には、オジオバのような「家族のサポート・システム」が弱体化しているという問題があるのではないか。


<参考文献>
笠原嘉『青年期―精神病理学から―』中公新書、1977年
高岡健不登校・ひきこもりを生きる』青灯社、2011年
ダ・ヴィンチ』2005年12月号特集「自由と孤独と音楽を愛する放浪の吟遊詩人スナフキンにさよなら。」メディアファクトリー、2005年
中井久夫『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(初出1991年)
信田さよ子『重すぎる母、無関心な父』静山社文庫、2011年
林道義『父性の復権中公新書、1996年
NHK福祉ネットワーク ひきこもり情報」
http://www.nhk.or.jp/fnet/hikikomori/experiences/experiences_03.html 
文部科学省HP/学校は、地域の人材を活用して「ナナメの関係」をつくろう!」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/toushin/07030123/002.html