オジオバなき時代

 今日、核家族化ということが言われているけれども、大家族同居の禁はすでに秀吉が発していて、江戸時代すでに同居している家族の人数はきわめて少ない。中国ですら、「四世同堂」(曾祖父から四代同居すること)は有産階級の象徴であり、憧れの的ではあっても、ごく一部にしか実現していなかった。戦後問題となるのはむしろオジオバとオイメイ間あるいはイトコ同士の交際と相互扶助の現象であって、これが一般に大家族の崩壊と受け取られているのである。人口の流動化と、また、とくに産児数の減少と関連した現象である(もしひとり子が三代続けば、伯叔父母、従兄姉弟妹は存在しなくなる)。
 伯叔父母が提供していたものは「父」「母」の原型の否定面を和らげる力である。また一個人が「元型的」なものを荷なうという重すぎる荷を救う。イトコとの交際は視野の拡大を与える(中井久夫「家族の表象ー家族とかかわる者より」『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(初出1991年)、pp.39-40)。


*この文章が書かれてから日本で少子高齢化はさらに進行し、「オジオバなき時代」になりつつあります。「ひきこもり」の解決のためには、笠原嘉さん=高岡健さんの強調する「オジオバ的な存在」との(タテの命令関係でもヨコの競争関係でもない)「斜めの関係」が重要です。もし現代日本で「ひきこもり」が増加しつつあるとすれば、それは「父なき時代」になったことではなく、「オジオバなき時代」になったことにその一因があるのでしょう。