BDPとの関係性ー「世間一般」の代表となるー

 以下は余談である。「うつ」とか不安や不眠を主訴に外来へ通ってくるBDP(熊田註;境界性パーソナリティ障害)に対して、わたしはどのようにゴールを定めているか。もちろん「治る」なんて期待していない。大概は歳を重ねると徐々にエネルギーが落ちてくるから、それまで大過なく暮らしていけるように微力ながら支えていくだけである。つまり相手が老いるのを待つということになる。もちろん私も同時に老いていくので、なんだか差し違いをしているようでうんざりすることがある。
 BDPとの関係性においてベストなのは、わたし自身が「世間一般の考え方や意見の代表となること」だと思っている。(中略)
 BDPは自分が特別な存在でありたいあまりに、月並みであることの気楽さや安心感を軽蔑し、そのくせ月並みであることに憧れているという厄介な人たちなのである(春日武彦『援助者必携ーはじめての精神科/第2版』医学書院、2011年、p125)。


*「世間一般」の代表となる、ということがBDPとの関係性においては大切だ、ということは理解できます。「四大」「魚を浮かべる水」のようになれ、というバリントの「基底欠損」についての見解とも一致します。