共依存という膠着の解消

 こうしたシチュエーションには、もはや平和は訪れようがないのだろうか。
 ひきこもりのてんまつについては、ここに興味深い文章がある。2001年9月28日付け朝日新聞の投書欄に「ひきこもりをやめさせた力」と題して載っていたものである。10年以上ひきこもっていた女性がとうとう立ち直ったその契機を、投書者が本人から聞いて綴った文章とのことであった。一部を引用してみよう。


 立ち直ったきっかけは、「母が趣味を楽しみだしたこと」と言う。今まで娘にばかり集中していた母が山歩きをはじめ、生き生きしだしたらしい。一人で山に登り、さりげなくお土産を買ってきてくれる母親を見ていて、「みんなけっきょくは一人なんだ。でも、母は私が歩き出すのを待っていてくれる」と実感したそうだ。


 読者はこの文章を読んで、「あまりにも呆気ない話だなあ、甘っちょろい話だなあ」と鼻白んだであろうか。もっとドラマティックなエピソードや「決め」の台詞でもあると期待されたであろうか。
 残念ながら 、そうした劇的な要素はない。あえていうなら、ひきこもりからの立ち直りを招来したのは「時間がもたらした癒し」であり、もう少し詳しくいうなら、共依存におけるコントロール願望を母親がついに捨てたということなのである(春日武彦『援助者必携ーはじめての精神科/第2版』医学書院、2011年、p37)。


共依存という膠着の解消において、よくありそうな話です。