「脱アイデンティティ」は新しい議論か?

(前略)常識的には、「自分が自分である」ということは(生まれた時からとはいえないまでも)人生の早い時期にひとりでに与えられた不動不変の事実のように思われているが、必ずしもそうではなくて、ひょっとすると人間の心は「自分が自分である」ために不可欠な働きを、毎日毎日こと新しく、ただし自動的に、繰り返しているのかもしれない。ちょうど、心臓が毎日血液を循環させる働きをしているように(笠原嘉『不安の病理』岩波新書、1981年、pp.176-177)。


*こう見ると、上野千鶴子氏のいう「脱アイデンティティ」は、決して新しい議論ではないのでしょう。