精神医学と「想像力の慣用語」

 前のジョージ・サンタヤナについていえば、彼は全能の神の存在を信じていません。不信心者ですから、分類すれば無神論になりますが、それにもかかわらず神という考えは、彼の中に生きているんです。彼にいわせれば、“idioms of imagination”(想像力の慣用語)というものをそれぞれの宗教は持っている。生まれてからずっと言葉の行き交いや仕草と共に育つと、《想像力の慣用語》が育まれる。それを通してものを考える方が、考える翼が伸びていくんですね(鶴見俊輔『かくれ佛教』ダイヤモンド社、2010年、p208)。


*精神医学者の例を挙げれば、H・S・サリヴァンにとってのアイルランド系の異教的なカトリシズム、奈良県天理市に生まれ育った中井久夫氏にとっての天理教は、サンタナヤのいう「想像力の慣用語」なのでしょう。
 ジェンダー研究だとJ・バトラーにとってのユダヤ教改革派、日本の新宗教研究だと島薗進先生にとっての金光教も、「想像力の慣用語」だと思います。