宗教/音/癒し
言葉のなかの非言語的コミュニケーションとして、言い回しやイントネーションや間や方言に注目するようになってほどなく、最重要なのは音声であると気づきました。
音の中で癒しの効果があるのは自然界の音や音楽の音であると思いました。現人類の発生のときから自然界に存在した音は、それに馴染むようにヒトの心身が進化しているだろうから、最善の癒しの音であろうと連想しました。
以前から、プロの民謡歌手の歌声よりも土地の古老の民謡の声の方が癒しの力があることに気づいていましたが、それは当然だと納得しました。生活や生命や身体の表出としての声の力であろうと思いました。何とかしてそのような発声を身につけたいと願いました。
(中略)
さらに、ホーミー(熊田註;モンゴルの歌唱法)ほど際立っていなくても、世界中の宗教歌唱には必ず倍音が含まれていて、癒しの力を発揮していることを知りました。仏教青年会で読経の素敵なお坊さんの声を聞いた時の思い出が蘇りました。コーランのCDを聞いてみると、ほれぼれするような倍音でした。声での癒しの技を身につけたいと練習に励みました。練習していて、頭蓋骨だけでなく体の骨格全体を共鳴器とすれば、声に倍音を密かに含ませる発声ができることに気づいて練習しました。
また、外来の廊下の建物を共鳴器にすると、離れた待合室まで声が届くことに気づいて、愛用するようになっています(神田橋條治『技を育む』中山書店、2011年、pp.62-65)。
*「言語的心理療法など存在しない。存在するのは、音声的心理療法だけである。」という意味のことをサリヴァンが言っていたと思います。天理教の鳴り物(音楽)や手踊りにも、癒しの効果があるのでしょう。