現代日本における「認知行動療法ブーム」への疑問ー宗教学の立場からー
愛知学院大学文学部紀要43号原稿(2014年3月刊行)
<題名>「現代日本における『認知行動療法ブーム』への疑問−宗教学の立場から−」
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)
<Title>Questions about“Boom of Cognitive Behavior Therapy”in Modern Japanese Society-from the Viewpoint of Religious Study-
<Author>Kazuo KUMATA(Associate Professor of the Study of Religious Culture)
<要旨>
本稿の目的は、昨今(2013年時点)の日本社会における「認知行動療法ブーム」を取り上げ、それに対して宗教学の立場から、1.現代社会における人間関係の希薄化を追認している側面があるのではないか、2.患者の精神的な「成長」ということを軽視しているのではないか、という2つの疑問を提出することにある。
<キーワード>
認知行動療法/宗教/精神分析療法/人間関係の希薄化/患者の精神的な「成長」
1.はじめに―現代日本の認知行動療法ブーム―
2013年現在、日本社会の「心の業界」(宗教・精神科医療・心理療法の世界)には「認知行動療法ブーム」とでも呼ぶべき現象が生じている。ネット書店大手の「アマゾン」で「書名」に「認知行動療法」を含む本を検索すると、2013年9月22日時点で、168冊もの書籍がリストアップされてくる。
『読売新聞』2011年7月6日号によれば、現代日本では、イギリスをモデルとして、認知行動療法の専門家を増員しようとする動きがある(cf.清水(監修)2010)。
うつ病治療が薬物治療に偏る中、国立精神・神経医療研究センター(小平市)で、薬だけに頼らない治療の専門家を育てる認知行動療法センターが今月(熊田註:2011年7月)本格的に始動した。
欧米で普及している「認知行動療法」の専門家育成機関という全国でも珍しい組織で、関係者の期待が高まっている。
認知行動療法は、物事に対する考え方や行動パターンを変えることで、患者の心の負担を軽くする治療法。地域医療に認知行動療法が定着した英国では、薬物療法と併用することで、自殺率が低下するなどの効果が出ているという。
国立精神・神経医療研究センターでは4月、「認知行動療法センター」の事務局が発足。6月には、初代センター長に日本認知療法学会の理事長の大野裕氏(1)を迎え、体制を整えた。
今後、医師、看護師、保健師らを対象に、研修会を開催。認知行動療法について講義やグループワークなどを通じて、年間100人の専門家を育成することを目標としている。
本稿の目的は、こうした現代日本の「認知行動療法ブーム」に対して、精神医学や心理学の立場からではなく、宗教学の立場から、1.現代社会における人間関係の希薄化を追認している側面があるのではないか、2.患者の精神的な「成長」ということを軽視しているのではないか、という2つの疑問を提出することにある。
はじめに、上記の「認知行動療法センター」のHPから、認知行動療法とは何か、センターの説明を引用しておこう。
認知行動療法とは
認知療法・認知行動療法というのは、認知に働きかけて気持ちを楽にする精神療法(心理療法)の一種です。認知というのは、ものの受け取り方や考え方という意味です。ストレスを感じると私たちは悲観的に考えがちになって、問題を解決できないこころの状態に追い込んでいくのですが、認知療法では、そうした考え方のバランスを取ってストレスに上手に対応できるこころの状態をつくっていきます。
私たちは、自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。これは、通常は適応的に行われているのですが、強いストレスを受けているときやうつ状態に陥っているときなど、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。その結果、抑うつ感や不安感が強まり、非適応的な行動が強まり、さらに認知の歪みが引き起こされるようになります。
悲観的になりすぎず、かといって楽観的にもなりすぎず、地に足のついた現実的でしなやかな考え方をして、いま現在の問題に対処していけるように手助けします。認知療法・認知行動療法は欧米ではうつ病や不安障害(パニック障害、社交不安障害、心的外傷後ストレス障害、強迫性障害など)、不眠症、摂食障害、統合失調症などの多くの精神疾患に効果があることが実証されて広く使われるようになってきました。
認知行動療法では、自動思考と呼ばれる、気持ちが大きく動揺したりつらくなったりしたときに患者の頭に浮かんでいた考えに目を向けて、それがどの程度現実と食い違っているかを検証し、思考のバランスをとっていきます。それによって問題解決を助けるようにしていくのであるが、こうした作業が効果を上げるためには、面接場面はもちろん、ホームワークを用いて日常生活のなかで行うことが不可欠です。
次に、認知療法・認知行動療法の具体的な方法を簡単に紹介します。そのときに、温かく良好な治療関係を大切にして、力を合わせて現実に目を向けて考えを切り替えたり問題を解決したりすることが大事だとうことは言うまでもありません。
(1)患者さんを一人の人間として理解し、その人の悩みや問題点、強みや長所を洗い出して治療方針を立て、それを患者さんと共有して力を合わせながら面接を進めていきます。
(2)行動的技法を使って生活のリズムをつけていきます。毎日の生活を振り返って無理のない形で、(a)日常的に行う決まった活動、(b)優先的に行う必要のある活動、(c)楽しめる活動ややりがいのある活動を、優先順位をつけて行っていく行動活性化は効果的です。とくに、楽しめる活動ややりがいのある活動を増やしていくことは効果的です。また、一定の身体活動や運動を用いて自信やコントロール感覚を取りもどし、他の人との関わり体験を持てるようにしていったり、問題解決技法を使って症状に影響していると考えられる問題を解決していったりして、適応力を高めていくようにします。
(3)自動思考に焦点をあてて、その根拠と反証を検証することによって偏りを修正し認知の歪みを修正します。このときに、書籍やウェブを使うこともできます。スキーマと呼ばれる性格の振り返りも役に立ちます。
(4)治療終結に進みます。
詳細な面接の流れは、厚生労働省ホームページの「こころの健康」(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/kokoro/)を参照してください。また、治療ではありませんが、技法の練習には認知療法活用サイト(ウェブ、モバイルともにhttp://cbtjp.net)も役に立ちます。
このような定型的な認知行動療法の他に、一人の方に使用する人や時間を効率的に少なくしながら効果が得られる簡易型の認知行動療法の研究が開発され、地域や職域の精神保健や福祉、法律や教育の各分野で活用されるようになってきています。そこで使われれている方法としては、(1)当事者や仲間がお互いに支え合うサポートグループ・プログラム、(2)短時間で相談に乗る相談センターや電話相談、(3)認知行動療法の原則に準拠した資料に基づく個人のセルフヘルプ、(4)行動活性化(やりがいのある行動や気持ちが楽になる行動を増やす)、(5)運動療法、(6)問題解決技法、(7)コンピュータ支援型認知行動療法などがあります。(「認知行動療法とは」)
こうした認知行動療法の効果に関しては、精神医学・心理学内部からも既に多くの疑問が出されている。Wikipedia「認知行動療法」から、「効果に関する議論」を紹介しておく。
効果に関する議論
認知行動療法(CBT)に関する概念や効果研究の方法について、諸問題が提起されています。
1. CBTの基礎概念では、マイナス思考がうつ病の原因であるとされています。しかし、医学・精神医学の中では、症状が病気の原因になっているのはこれが 唯一の例です。また、「私はどうでもいい人間」や「私はだめな人間」のようなマイナス思考が、うつ病の根底にある憂うつ気分の二次的な反応という解釈もできます。希望や支えを与えると患者は楽になりますが、うつ病そのものは治療されません。また、うつ病の臨床試験の場合、プラセボ(薬理効果をもたらす成分が入っていない偽薬)の投与群でも、うつ症状がある程度改善することがよく知られています。そのため、効果的な薬剤を服用している希望や期待によってマイナス思考が改善したと思われ、CBT効果と同じ現象ではないかと示唆されます。
2. CBTの効果研究の方法が、ダブルブラインド(二重盲検)でないことが問題とされています。患者と治療者の両方が治療内容がCBTであることを明確に認識 している場合(ダブルブラインドでない)、それによってバイアス(希望による期待)が生じる。そのため、明らかにCBTでない対象群より、よくなりたい患者の症状の方がある程度和らげられ、結果として「CBTがより効果的だ」という誤った結論になってしまいます。また、研究の評価者は治療内容を認識していないが、患者と治療者の両者が認識しているシングルブラインド(単盲検)の効果研究方法は妥当性に欠けてしまいます。2010年に行った過去の 研究をまとめた調査によると、治療内容を認識している研究とある程度しか認識していない研究を比較すると、患者や治療者が治療内容を認識すればするほど、 CBTが優位な結果となりました。これは、バイアスが原因ではないかと強く示唆されています。逆に、患者や治療者が治療内容を認識しなければしないほど、うつ病に対する効果がほとんどなくなります。
3. 軽症うつ病の患者が重症患者より多く、病気なのか、または性格やストレスによるうつ気分なのかが区別しにくくなります。軽症うつの患者は希望や期待に作用されやすく、上記のように症状がある程度容易に和らげられます。また、このような患者は重症のうつ病がはっきりしている患者と比べて効果研究に参加しやすく、客観的な結果が得られにくくなります。
結論: 1. CBTによって心理的な機能(主にマイナス思考による不快感)がある程度まで改善できる。
2. CBTはうつ病やその他精神科疾患の治療として、その効果が医学的に証明されていない。その上、CBT効果研究のダブルブラインド(二重盲検性)を調査した研究によると、うつ病に対するCBTの効果は極めて低い。
3. CBTは、中途度より重いうつ病に対しては単独治療にすべきでない。
4.主に二重盲検効果研究の実施は不可能なため、CBTの効果研究は「根拠に基づいた医療」(Evidence-Based Medicine)とはいえず、これまでのデーターは、「統制されていない研究結果」にすぎない(Wikipedia「認知行動療法」)。
話を心理学的な効果に限定しても、既にこれだけの疑問が提出されているということである。しかし、私は宗教(社会)学者であって精神医学や心理学の専門家ではないので、認知行動療法の効果に関するこうした専門的な議論の当否については判断を保留する。
宗教学の立場から、1.現代社会における人間関係の希薄化を追認している側面があるのではないか、2.患者の精神的な「成長」を軽視しているのではないか、という疑問を提出するために、次節では、不安障害の患者が「宗教」(具体的には天理教)によって、1.何でも話せる友人と助け合う人間関係の中で、2.精神的に「成長」しながら、「治療」に成功した事例を紹介したい(cf.熊田2012)。
2.不安障害の信仰治療の事例
以下に引用するのは、ある天理教信者が書いた信仰体験記である。この資料は、天理教教団のご厚意で原文を入手した。著者は、執筆の時点(2010年)で50歳になる主婦で、信仰は初代である。ご主人と二人の子供がおり、娘さんは結婚して二人目がお腹にいる。毎日朝夕教会に来て、朝づとめ夕づとめ(天理教の儀礼)をして帰る信仰生活を送っているそうである。
これから私の体験したところをお話しします。自分がドッヂボールをしていて、その時にボールが当たったときに仰向けに倒れました。それが原因で自律神経失調症の中の不安神経症という病気になりました。二十四時間全身がしびれ、心臓も体から出てしまうぐらいドキドキして、頭痛もひどく、一時はどうにかなってしまうのではと思い、もうこんなに苦しいのなら、命も絶ってしまおうかと、思いましたが、子供のことを思うとそれも出来ず、毎日生きているのが、こんなに苦しいのかと思いました。
そんな時、天理教のパンフレットが郵便受けに入っていました。そのパンフレットに『人をたすけて我が身たすかる』という言葉が書いてありました。天理教なら助けてくれると思いました。すぐに教会に電話して助けを求めました。そこから私の天理教が始まりました。
私の家に教会の人が毎日二ヶ月来てくれました。その時教会の人は私の病気の事をよく聞いてくれました。その当時は今とは違って、心の病気はなかなか理解してくれませんでした。怪我と違って見た目にもわからなくて、でも話し(ママ)を教会の人はよく理解してくれました。その後、教会の奥さんのお産があり、教会にこちらから行くようになりました。
教会では、できることをいろいろさせて頂きました。今まで家からでられなかった私が、教会でいろいろな人と出会い、世界が広がった気がしました。それから毎日教会に通っていましたが、二・三年したら、姪っ子が旦那さんと姑さんとうまくいかなくなり、私に相談してきました。教会に一回行っただけで、姪っ子は夏のこどもおぢばがえり(熊田註:天理市への一種の巡礼)に行きました。そして、その年の秋に天理の修養科(修養科という所は神様の話をしたり、心の勉強したり三ヶ月研修する所です)へ行きました。
そして、修養科を出て、教会に三ヶ月住み込みし、今度は一才(ママ)の娘とふたりでアパートぐらしを始めました、それから私は教会の人たちと姪っ子のお世話をしていたのです。一才の娘の面倒を見たり、アパートの手伝いをしたりしました。それから何もわからず一軒一軒パンフレットをみんなと配ったりしました。
すると、いつの間にか自分の病気がよくなっていくことに気がつきました。まさに『人をたすけて我が身たすかる』です。そして、今では姪っ子は旦那さんと二人の子供、お腹には三人目の子供がいます。今では、私は教会に行って、掃除をしたり、教会の子供の世話をしたり、スポーツもできるようになりました。毎日がとても楽しいです。
もしあの時天理教のパンフレットがポストに入っていなかったら、天理教と出会わなかったら、私はどうなっていたかわかりません。病気は辛いけど、今は病気になって、人の病気の痛みも理解することができるし、いろいろな人との出会いもあり、病気になって少しは良かったなと思えるようになりました。そして、天理教の信者さん同志(ママ)なら誰にも相談できないこともできるし、天理教でよかったと思います。
これからは、たすけてもらった分、困っている人をたすけたいと思います。会長さんからは人をたすけたり、パンフレットを配ることで、いんねんが切れると教わりました。いんねんとは「その家の代々受けついできたもの」です。私の家のいんねんでもある心の病気です(2)。
人は、どこでどんな人とめぐり会うかわかりません。パンフレットをポストに入れ、感謝・恩を忘れず歩んでいきたいと思います。これが天理教だと思います。
みなさんも、困ったことや悩みごとがありましたら、ぜひ近くの天理教の教会に相談して下さい。
もちろん、宗教団体の信仰体験談をそのまま受け取るのには注意が必要である。しかし、この信者が精神科医療の薬物療法だけでは治癒せず、天理教の「人をたすけて我が身たすかる」という信仰指導も実践することによって治癒したことは確かであろう。この天理教信者の場合のように、人によっては、現代日本の精神科医療のように抗うつ薬SSRIの投与を中心とした薬物療法のみ施される場合よりも、こうした「人をたすけて我が身たすかる」という宗教教団の信仰指導が加わった方がより効果があるのであろう。
この信者が「不安神経症」としているものは、現代の精神医学では「不安障害」の一種である「パニック障害」と診断されるだろう。この信者の場合、天理教の信仰生活が、精神医学でいう認知行動療法代わりとなって、「不安神経症」(=現代の精神医学でいう「不安障害」)が治癒したのであろう。
不安障害が治癒したといっても、上記に紹介した典型的な認知行動療法の場合と異なり、この信者の場合、1.何でも話せる友人と助け合う人間関係の中で、2.「人をたすけて我が身たすかる」「病気は辛いけど、今は病気になって、人の病気の痛みも理解することができるし、いろいろな人との出会いもあり、病気になって少しは良かったなと思えるようになりました」という形で、病気になる以前より利他的な人間になるという精神的な「成長」を遂げて「治癒」したことに注意を促したい。
3.人間関係の希薄化の追認
精神科医の中井久夫は、名著『治療文化論』(岩波書店、1990年)において、精神疾患の発症時においてその人の予後を決定する最大の要因は、「なんでも話せる友人が一人いるかいないか」ということではないかと指摘している(p.129)。この天理教信者の場合、教会の仲間が「何でも話せる友人」となったのであろう。天理教では、このように苦悩する人の語りを徹底的に「聴く」ことを、「聴きだすけ」と呼ぶ(熊田2011)。
この信者の場合、「おたすけ」を行う際の、「たすかりたい」から「たすけたい」への視点・行動の転換が、一種の認知行動療法のような役割を果たしたのであろう。しかし、上記に紹介した典型的な認知行動療法の場合と異なり、この信者の場合、あくまで「助け合う人間関係」の中での「つながりの中の癒し」であった。もしこの信者に最初から「何でも話せる友人」と「助け合う人間関係」があれば、この信者はそもそも長年精神疾患に苦しむことはなかったのではないか。そう考えれば、現代日本の「認知行動療法ブーム」には、現代社会における人間関係の希薄化を追認している側面があるのではなかろうか(3)。
4.患者の精神的な「成長」の軽視
日本の精神医学の長老である笠原嘉は、精神分析療法における人間観と対比しながら、認知行動療法における人間観の特徴を、次のように指摘している。
(前略)しかし、残念ながら間もなく起こった学園紛争でこの興味ある試みも頓挫せざるを得ませんでした。今日も私は、こういう形でカウンセラーに精神科教育をする時代がくればよいのに、と思っています。それも新人ではなく、一定の経験を積んだ人が対象としてベターだと思います。外科医が手術を見て上達するように、精神科医は(そしてたぶんカウンセラーも)先輩の診察を見て成長するのです。
しかし、現実には文科省資格を持つ心理カウンセラーはそのほとんどが教育界で、つまり登校拒否児の世話係として、パートタイマー的に働いておられるようです。精神科サイドでいえば米国精神医学の影響をうけて、認知行動療法という心理療法に軸足を移しつつあります。これは、国際的に見て多すぎる精神科病院の収容者数を減らそうという国策にも合致して、少しずつ盛んになりつつあります。この認知療法の背景にある心理学は昔ながらの伝統的な心理学で、カウンセリングを支えた力動・感情・全体心理学ではありません。
認知療法が本来得意としたのは恐怖症・強迫症で、これらは「悪いクセ」であるから、それを修正するというのが基本姿勢でした。これに対し精神分析療法はヒステリーを対象として発展し、治療者との人間関係を作り上げてその上で患者の成長を計るという基本姿勢だ、と申し上げればその違いがはっきりするでしょうか(笠原嘉2012、pp.109-110)。
精神分析療法が患者の「成長」を計るのに対して、認知行動療法は患者の「悪いクセ」を修正するのが基本姿勢だというのである。上記の不安障害が治癒した天理教信者は、もちろん精神分析療法を受けたわけではないが、精神的な「成長」、天理教の教団用語でいう「心の成人」を遂げた点では同じである。比較的短期間に「悪いクセ」を修正しようという認知行動療法には、精神分析療法や宗教が重視しているような患者の精神的な「成長」を相対的には軽視しているのではなかろうか。
以上、昨今の日本における「認知行動療法ブーム」に対して、宗教学の見地から、1.現代社会における人間関係の希薄化を追認している側面があるのではないか、2.患者の精神的な「成長」ということを軽視しているのではないか、という2つの疑問を提出した。
日本のジャーナリズムは、うつ病や不安障害の治療において、製薬会社の利権の臭いがする抗うつ薬SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の濫用をめぐる問題には敏感に反応する。しかし、欧米から認知行動療法を輸入することに関しては、手放しで歓迎している感もある。例えば、NHKは、2011年2月7日放送の『クローズアップ現代』「うつは“心”から治せるか/注目される認知行動療法」において、認知行動療法の利点ばかりを取り上げて放送していた。
もちろん、現代日本における認知行動療法の普及は現在進行形の社会現象であり、今後認知行動療法が私が提出したような疑問を乗り越える形に変容していく可能性はあるし、私はその可能性には期待したい。
厚生労働省のHPによれば、アメリカにおける不安障害の生涯有病率は年々増加し、今では10人に3人以上が患う病になっている。
一般住民を対象とした疫学調査では、わが国ではH14-18年度に厚労省の研究班(主任、川上憲人)が行った調査があり、何らかの不安障害を有するものの数は生涯有病率で9.2%(12ヶ月有病率では5.5%)でした。
その内訳をみると、特定の恐怖症が最も多く3.4%(生涯有病率、以下同じ)(恐怖症全体では約5%)、次いで全般性不安障害1.8%、PTSD1.4%、パニック障害0.8%でした(身体疾患や物質による不安障害は除外)。
米国の大規模疫学調査では有病率はもっと高く、ECA調査(Epidemiologic Catchment Area Program, 1980-83年)では不安障害全体は14.6%、その後行われたNCS調査(National Comorbidity Survey, 1990-92年、2001-2年に再調査)では31.2%でした。この結果からは、不安障害は年々増えていて、米国では今や10人に3人以上が経験する病気であることが考えられます。パニック障害の有病率はECA調査1.6%、NCS調査4.7%で、調査対象や方法はやや異なりますが、患者数はやはり増えていると思われます。
NCS調査によりますと、不安障害は女性に多く(男性25.4%、女性36.4%)、パニック障害では女性は男性の2.5倍、そのほかの不安障害の下位分類でもすべて女性が多くなっています。年齢分布は、18歳から60歳までのすべての年齢層であまり変わらず、60歳以上になると減少する傾向がみられます。
疫学調査でわかったもうひとつ重要な所見は、不安障害の患者さんは一定期間に二つ以上の診断基準を満たす障害がみられる「併存」を経験することが多いことです。パニック障害では、50〜65%に生涯のいつの時点かにうつ病が併存し、また全般性不安障害25%、社交恐怖15〜30%、特定の恐怖症10〜20%、強迫性障害8〜10%の併存があるといわれています(「みんなのメンタルヘルス/患者数」)。
日本では、不安障害の生涯有病率はまだ1割弱だが、今後日本社会がアメリカの後を追わないことを強く願いたい。
<註>
(1)2013年時点では、大野裕氏は雅子皇太子妃の主治医である。
(2)この信者の「いんねん」概念についての理解は、天理教から見れば間違っている。
(3)私は、雅子皇太子妃に今いちばん必要なのは、大野裕氏のような「精神医療の専門家」ではなく、かつての美智子皇后にとっての女性精神科医、故・神谷美恵子氏のような、「聴きだすけ」(天理教)をしてくれる「何でも話せる同性の友人」ではないか、と考えている。
<参考文献>
笠原嘉『精神科と私−二十世紀から二十一世紀の六十年を医師として生きて−』中山書店、2012年
熊田一雄「『聴きだすけ』について」『愛知学院大学人間文化研究所所報』37号、2011年
熊田一雄「不安障害の信仰治療について−天理教の事例から−」『愛知学院大学文学部紀要』41号、愛知学院大学、2012年
清水栄司(監修)「認知行動療法のすべてがわかる本」講談社、2010年
中井久夫『治療文化論−精神医学的再構築の試み−』岩波書店、1990年
『読売新聞』2011年7月6日
「認知行動療法とは」
http://www.ncnp.go.jp/cbt/about.html 2013年9月22日アクセス
Wikipedia「認知行動療法」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95 2013年9月22日アクセス
「みんなのメンタルヘルス/患者数」
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_panic.html 2013年9月22日アクセス