日本の宗教の信仰治療について-天理教の事例から-

愛知学院大学文学部紀要』51号、2022年3月刊行


<題名>日本の宗教における信仰治療について-天理教の事例から-

<著者>熊田一雄

 

<要旨>

 本論の目的は、「人たすけたら我が身たすかる」という天理教の教えを検討することにある。私はかつて天理教のこの教えを分析して、「たすかりたい」から「たすけたい」への姿勢の転換は、現代の精神医学でいう認知行動療法に相当するような治療効果をもつことを論じた(熊田2011)。本論ではその議論を発展させて、まず天理教教祖・中山みき(1798-1887)が、経験的にそのことをよく知っていたことを見る。次にその議論を一般化して、「入信即布教」という一部の新宗教や依存症治療の自助グループで用いられる信仰治療には、実際に病気を治す効果があるのではないか、と論じる。

 

<キーワード>

天理教/信仰治療/人たすけたら我が身たすかる/認知行動療法/入信即布教

 

1. はじめに

    宗教と病気なおしは、古代から現代まで切っても切れない密接な関係をもつ。おそらく、未来においてもそうであろう。それにもかかわらず、日本の宗教の信仰治療(faith healing)についての学術的研究は、小野泰博の古典的研究『救いの構造-信仰治療史序章-』(耕土社、1977年)以降、大きな理論的進展をみていないように思われる。その最大の理由は、信仰治療の研究は宗教学と医学(特に精神医学)にまたがる研究であるが、医学者(特に精神科医)は臨床の仕事に忙しくて信仰治療を研究している暇がなく、一方宗教学者のほうは、東大の精神医学研究室で学んだ小野泰博氏と異なり、医学、特に精神医学についての素養が十分でなかったという点に求められるだろう。

    本論は、精神科医との個人的交流や精神医学の若干の知識に基づいて、信仰治療の研究を理論的に一歩前進させようとするものである。著者はかつて天理教の「人たすけたら我が身たすかる」という教えに焦点を当てて、それが現代の精神医学でいう認知行動療法に相当する治療効果をもつことを見たが、本論ではその議論を一歩前進させて、天理教教祖がそのことを経験的によく知っていた、と論じる。さらに議論を一般化して、一部の新宗教で用いる(用いていた)「入信即布教」という信仰指導や、現代の各種依存症の自助グループで今も用いている(いわば)「入会即布教」という指導方針が、病気なおしに一定の効果をもつ(もっていた)と論じる。

 著者はかつて、天理教の「人たすけたら我が身たすかる」という教えを実践したら、長年苦しめられた不安障害(パニック障害)が快癒したという天理教信者の信仰体験記を分析して、「たすかりたい」から「たすけたい」への姿勢の転換は、現代の精神医学における認知行動療法に相当する治療効果をもつ、と論じた(熊田2011)。まず最初に、天理教教祖・中山みき(1798-1887)自身が、そのことをよく知っていたことを見ておきたい。

 

2.天理教教祖と「人たすけたら我が身たすかる」-「手引き」と「ためし」-

 中山みきは、そもそも直筆の原典(聖典)『おふでさき』において、「人たすけたら我が身たすかる」という教えについて、次のように説明している(天理教教会本部1928、p48、p51)。

 

「しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる」(第三号38)

「わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる」(第三号47)

 

 人にどうでもたすかっていただきたいと願い念じ、真実込めてにをいがけ(布教―熊田注)に努める中に、結果として、自らも結構なご守護を頂戴することができるとされているのである。

 

  このことは、『稿本 天理教教祖伝逸話篇』に収録されている「逸話一六七 人救(たす)けたら」に具体的に記録されている。

 

一六七 人救(たす)けたら

 

 加見兵四郎(後の天理教東海大教会初代会長-熊田注)は、明治一八年九月一日、当時一三才の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年一〇月七日から、兵四郎もまた目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日、妻つねに申し付けて、おぢば天理教の聖地-熊田注)へ代参させた。教祖(おやさま)は、

「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で押さえているのやで。そのなあ、押さえているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」

と、仰せになり、つづいて、

「人言伝て(づて)は、人言伝て。人頼みは人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う、狂うた話した分(ぶ)にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」

と、お諭し下された。つねが家にもどって、この話を伝えると、兵四郎は、「成る程、その通りや。」と、心から感激して、三日朝、笠間から四里の道を、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰って来た。教祖は、先ず、

「さあゝ」

と仰せあり、それから約二時間にわたって、元初まりのお話(天理教創世神話-熊田注)をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと震動した程であった。そのお言葉がすむや否や、ハッと思うと、目はいつとなく、何(な)んとなしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女きみの目も鮮やかにご守護頂いていた。

 しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時頃までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治一九年正月に、又、おぢばに帰って、お伺い願うと、

「それはなあ、手引きがすんでためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上(健康状態-熊田注)は鮮やかやで。」

とのお諭しを頂いた。よって、その後(のち)、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救け頂いた(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』1976年、pp.277-279)。

 

 突然失明して、突然視力を回復していることから判断して、この父娘の眼病は、心因性、現代の精神医学でいう「転換性障害」(昔はヒステリーといった)であろう。教祖も、心因性だと判断したからこそ、「神様は一寸指で押さえているのやで」と教理の「諭し」だけで回復すると判断したのだろう。ただし、兵四郎の場合は、回復後も少し症状が残っているので、他の疾患、例えば白内障を併発していた可能性はある(1)(2)。

   「ためしというは、人救けたら我が身救かると言う。我が身思うてはならん」という諭しは、教祖が「救かりたい」から「救けたい」への姿勢の転換には、現代の認知行動療法に相当する治療効果があることを、経験的によく知っていたから出てきたものであろう。

    高野友治はこの逸話に関して、次のように述べている。

  

    手引きというのは、まあ言うてみるなら、何も知らない子供が、目先のことにとらわれて、知らず識らずの間に危うい道に陥るのを、こちらの安心な道に来いと、手を引いてくださるようなもの、ためしというのは、親から安心の道を教えられたら、その通り実践して行くことを言われていると思う。

 人間の身上の障り(病気-熊田注)や事情(その他の苦難-熊田注)には、この手引きとためしの二つの意味が含まれていると思われる。

 兵四郎の目の障りにしても、神の手引きとためしの二つの意味が含まれていた。神様のお話を聞いて、夢みたように眼が見えるようになったというのは、神の手引きである。それがわかったなら、その通り実践せよといわれるのである。それがためしなのである。

 人間の常識からいうと、日々おたすけ生活に邁進していたのである、なれども、その通る心の中に、わが家わが子を思う心がまじっている。その心をすっきり忘れて、どうでも人をたすけたい、たすかってもらいたいという心一つに取り直してもらいたい、と仰せられているものと拝察される(高野1980、pp.328-329)。

 

    また、村上道昭は、「「すっきり救かる」ことだけを願うなら、また「すっきり救かる」ご守護がないと不足する(不満を抱く-熊田注)ようであれば、それは本当の信仰ではなく、単なるご利益信心の域を出ないことになります」と指摘している(村上2014、p329)。「ためし」は、ご利益信心を超えた、宗教的主体化への道なのである。

 「人たすけたら我が身たすかる」は、日本の新宗教における教義の理論的考察を試みた古典的考察「新宗教における生命主義的救済観」(対馬(他)1979)に沿っている教えである。しかし、ひとつ注意しなければならない点がある。確かに、「人をたすける」ことは「自分をたすける」ことになる、と楽観的に考えられているのだが、「人をたすける」にあたっては、「わが家わが子を思う心」がまじっていてはいけない、とされている点である。この点で、「人たすけたら我が身たすかる」という天理教の教えを「功利的」(見返り期待)と形容することには、一定の留保が必要である。「見返り」を一切求めず「人だすけ」に徹したときに、はじめて「(親神の)ご守護がいただける」とされているのである。

 

3.「入信即布教」と現代的な自助グループを再考する

 日本の新宗教の中には、入信者をすぐに布教に出す、あるいはかつてはそうしていたという教団がある(3)。新宗教のこうした「入信即布教」という方針は、しばしば教勢を拡大しようという新宗教の「教団エゴの現れ」として語られてきた。私は、新宗教の「入信即布教」という方法に教団エゴの現れという側面があることを否定しない。また、こうした方針が入信者の福祉に悪影響を与えていたことも多々あっただろう。

 しかし、自分が「たすかりたい」という動機から入信してきた人の視点と行動を、他人を「たすけたい」という方向に切り替えさせることには、一種の「認知行動療法」としての側面もあったのであろう。「入信即布教」によって、軽い心身の不調、特に現在では「不安障害」に分類されている心気症や疼痛性障害(心因性の痛み)が治癒することも、現実にあったのではないか。心気症や疼痛性障害が治癒したことをきっかけに、他の病気も自然治癒していったこともあったのではないか。

 2013年度の「宗教と社会」学会テーマセッション「『民衆宗教』と精神医学/治療文化」において、私は、近代日本における新宗教の「入信即布教」という方針に「教団エゴの現れ」という側面があることは否定しないが、同時にそれなりの「治療的効果」もあったのではないか、という問題提起をした。コメンテーターの島薗進先生(上智大学)は、「現代日本のようにプライバシー意識が高まると、『入信即布教』は実行困難なのではないか?」、とコメントなさった。

 確かに、近代のように「地縁・血縁」にのった「入信即布教」は、現代ではもはや困難だろう。しかし、AA(アルコホリクス・アノニマス)のような各種依存症の自助グループも、やはり「入信即布教」という活動方針をとっている。「問題縁」にのった「入信即布教」は、現代でもやはりそれなりの「治療的効果」をあげているのではないだろうか(4)。

 各種依存症の自助グループの原点となったAAは、「たすかりたい」から「たすけたい」への姿勢の転換に治療的価値があることを、次のようにはっきり意識している。

 1935年にアメリカで誕生し、その後世界中に広がったアルコール依存症患者の自助グループAA(Alcoholics Anonymous)は、アルコール依存症だけではなく、現代の様々な依存症の自助グループの原点ともなったという点で、宗教史上重要な存在である。AAの出発点は、以下のような二人のアルコール依存症患者の出会いである。

 

 1935年、オハイオ州アクロンで二人の男の出会いがあった。当時二人とも絶望的な酔っ払いと見られていた。彼らの知り合いたちにとってもそれは恥ずべきことだった。一人はウォール街の腕利きで、一人は名うての外科医だった。二人とも死にそうなほど酒浸りになっていた。それはそれは数多くの「治療法」を試し、何度も入退院を繰り返していた。確かに彼ら自身から見ても、もう手の施しようがないように思えた。
 お互いが知り合ってから、ほとんど偶然に、驚くべき事実をつかんだ。その事実とは、お互いが相手の手助けをしているときには、飲まないでいられることだった。二人はこの考えを得て、病院のベッドに閉じ込められたアルコホーリクの弁護士のところへ話に行った。その弁護士もやってみる気になった。
 この三人はそれぞれの生活の中で、アルコホーリクの手助けを次々に続けた。手助けが望まれないこともあったが、彼ら自身にとってその試みは値打ちのあるものだった。なぜなら、たとえ「患者」は飲み続けていたとしても、自称「援助者」は飲まずにいられたからだった(AA日本ゼネラルサービス1979、p177)。

 

 「お互いが相手の手助けをしているときには、飲まないでいられる」理由は、「酒を止めたい」から「酒を止めさせたい」への姿勢の転換に、一種の認知行動療法の意味があるからであろう。 

 参考までに、摂食障害者の自助グループNABAの「入信即布教」を示している方針をいかにあげておく。

 

*NABA 過食・拒食症者が回復し、成長するための10ステップ 

1 認知のステップ

私たちは痩せることへのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた。

2 理解のステップ

痩せることへの執着は、他人の評価を気にし過ぎるところからはじまり、自分の意志の力を信じすぎたことでひどくなったことを理解した。

3 決心のステップ

今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ、他人の評価を恐れることなく、あるがままの自分の心と身体を受け入れようと決心した。

4 実践のステップ―点検

あるがままの自分を発見するために今までの生き方を点検し、両親との関係からはじまる人間関係についての点検表を作った。

5 実践のステップ―仲間と語る

上記の点検表を、先を行く仲間にみせて語り合い、「真の自己」の発見につとめた。

6 感得のステップ

「偽りの自己」の衣装の下に隠れていた、「真の自己」の存在を実感できるようになり、この”もうひとりの自分”と和解しようと思うようになった。

7 洞察のステップ

生き残るための今までのやり方が、「真の自己」を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏みそこなったことに由来することに気が付いた。

8 改善の維持のステップ

自分の生き方の点検を続け、新たに気が付いた無理な生き方は勇気をもって変えることを心がけた。

9 落着きを楽しむことのステップ

自分の命の自然な流れを実感するようになり、その流れに漂うことの落ち着きを楽しむようになった。

10 メッセージのステップ

これら自分の経てきた成長のステップを、まだ痩せることの努力に溺れている人々に正確に伝えた。

 

http://naba1987.web.fc2.com/program/pr07.html より転載

メッセージ活動

 

全国各地で体験をお話しています

 

 NABAでは、摂食障害者の声を広く届けていきたいという願いから、積極的にメッセージ活動を行っています。

 具体的には、病院の院内ミーティング、地域の自助グループ、保健所や他団体の主催するイベントなどにNABAメンバーが出向き、体験談などを話すというものです。

 メッセージ活動は、「自分の経てきた成長のステップを、まだ苦しんでいる仲間たちへ正直に語る」というNABA10ステップの理念に基づいて行っています。

 私たちにとっての「メッセージ」とは、決して「回復者として伝える」ものではなく、自分自身のさらなる回復・成長を願い、聞く人を求めて、自らの体験を「届ける」ことを意味しています。

 2012年現在、定期的に行っているメッセージミーティングは、群馬県の赤城高原ホスピタル、東京足立病院、愛知県の西山クリニックです。

 その他にも、全国各地の様々な機関・団体にお呼びいただき、ご要望に合わせて、体験談や講演、NABAオリジナル映像の上映など行い、広くメッセージを届けています。

 また、全国の仲間や摂食障害に関わる方々からの「私たちもグループを開きたい」というお問い合わせに対して、パンフレットやミーティング・マニュアルの送付、時には活動経験の豊かなメンバーがグループのガイド役として、その場に出かけるなどのメッセージ活動も行い、積極的に協力しています。

 

 このように、天理教の「人たすけたら我が身たすかる」という教えに見られるような、「たすかりたい」から「たすけたい」への姿勢の転換による認知行動療法的な信仰治療の効果は、現代的な自助グループでもフルに活用されているのである。

 

<謝辞>

 精神医学上の診断については、精神科医・大月康義氏のご教示をいただいた。また、本稿を草稿の段階で島薗進氏(上智大学)に読んでいただき、貴重なコメントをたまわった。記して深く感謝したい。

 

<注>

(1)医学的診断については、精神科医・大月康義氏のご教示による。

(2)近代初期の日本においては、現代と比べて心と体の境界線が低く、心理的葛藤が身体的な症状として表現されること(「転換性障害」)が現代よりも多かった可能性がある。だからこそ、「人たすけたら我が身たすかる」という信仰指導で病気が治癒することも現代より多かった可能性がある。今後の研究課題としたい。

(3)例えば、初期の霊友会がそうであった。

(4)著者はアルコール依存症患者の日本の自助グループ・断酒会に参与観察をしていたことがあるが、初回参加時に、いきなり「近隣のアル中病棟に慰問にいかないか」と勧誘された。

 

<参考文献>

『おふでさき 付註釈』天理教教会本部、1928年

『稿本 天理教教祖伝逸話篇』天理教道友社、1976年

AA日本ゼネラルサービス『どうやって飲まないでいるか』AA日本出版局、1979年

小野泰博『「救い」の構造-信仰治療史序章-』耕土社、1977年

熊田一雄「不安障害の信仰治療について-天理教の事例から-」『愛知学院大学人間文化研究所紀要』26号、2011年

高野友治『草の中の聖たち-庶民信仰者列伝-』天理教道友社、1980年

対馬路人(他)「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、岩波書店、1979年

村上道昭『教理随想-教祖(おやさま)を身近に-』天理教道友社、2014年

 

<参考URL>

摂食障害の自助・ピアサポートグループ NABA」

http://naba1987.web.fc2.com/program/pr07.html

(2021年9月2日アクセス)