不安障害と日本の新宗教ー天理教の事例ー

 以下に引用するのは、ある天理教信者が書いた信仰体験談である。この資料は、天理教教団のご厚意で入手した。著者は、執筆の時点(2010年)で五十才になる主婦で、信仰は初代である。ご主人と二人の子供がおり、娘さんは結婚して二人目がお腹にいる。毎日朝教会に来て、夕つとめ(天理教儀礼)をして帰る信仰生活を送っているそうである。


 これから私の体験したところをお話しします。自分がドッヂボールをしていて、その時にボールが当たったときに仰向けに倒れました。それが原因で自律神経失調症の中の不安神経症(熊田註;現代の精神医学では「不安障害」の一種である「パニック障害」)という病気になりました。二十四時間全身がしびれ、心臓も体から出てしまうぐらいドキドキして、頭痛もひどく、一時はどうにかなってしまうのではと思い、もうこんなに苦しいのなら、命も絶ってしまおうかと、思いましたが、子供のことを思うとそれも出来ず、毎日生きているのが、こんなに苦しいのかと思いました。
 そんな時、天理教のパンフレットが郵便受けに入っていました。そのパンフレットに『人をたすけて我が身たすかる』という言葉が書いてありました。天理教なら助けてくれると思いました。すぐに教会に電話して助けを求めました。そこから私の天理教が始まりました。
 私の家に教会の人が毎日二ヶ月来てくれました。その時教会の人は私の病気の事をよく聞いてくれました。その当時は今とは違って、心の病気はなかなか理解してくれませんでした。怪我と違って見た目にもわからなくて、でも話しを教会の人はよく理解してくれました。その後、教会の奥さんのお産があり、教会にこちらから行くようになりました。
 教会では、できることをいろいろさせて頂きました。今まで家からでられなかった私が、教会でいろいろな人と出会い、世界が広がった気がしました。それから毎日教会に通っていましたが、二・三年したら、姪っ子が旦那さんと姑さんとうまくいかなくなり、私に相談してきました。教会に一回行っただけで、姪っ子は夏のこどもおぢばがえりに行きました。そして、その年の秋に天理の修養科(修養科という所は神様の話をしたり、心の勉強したり三ヶ月研修する所です)へ行きました。
 そして、修養科を出て、教会に三ヶ月住み込みし、今度は一才の娘とふたりでアパートぐらしを始めました、それから私は教会の人たちと姪っ子のお世話をしていたのです。一才の娘の面倒を見たり、アパートの手伝いをしたりしました。それから何もわからず一軒一軒パンフレットをみんなと配ったりしました。
 すると、いつの間にか自分の病気がよくなっていくことに気がつきました。まさに『人をたすけて我が身たすかる』です。そして、今では姪っ子は旦那さんと二人の子供、お腹には三人目の子供がいます。今では、私は教会に行って、掃除をしたり、教会の子供の世話をしたり、スポーツもできるようになりました。毎日がとても楽しいです。
 もしあの時天理教のパンフレットがポストに入っていなかったら、天理教と出会わなかったら、私はどうなっていたかわかりません。病気は辛いけど、今は病気になって、人の病気の痛みも理解することができるし、いろいろな人との出会いもあり、病気になって少しは良かったなと思えるようになりました。そして、天理教の信者さん同志なら誰にも相談できないこともできるし、天理教でよかったと思います。
 これからは、たすけてもらった分、困っている人をたすけたいと思います。会長さんからは人をたすけたり、パンフレットを配ることで、いんねんが切れると教わりました。いんねんとは「その家の代々受けついできたもの」です。私の家のいんねんでもある心の病気です。
 人は、どこでどんな人とめぐり会うかわかりません。パンフレットをポストに入れ、感謝・恩を忘れず歩んでいきたいと思います。これが天理教だと思います。
 みなさんも、困ったことや悩みごとがありましたら、ぜひ近くの天理教の教会に相談して下さい。


 この信者の場合、天理教の信仰生活が、精神医学でいう認知行動療法森田療法の代わりとなって、「不安神経症」(=現代の精神医学では「不安障害」の一種である「パニック障害」)が治癒したのであろう。
 この信者は、「不安と恐怖」と疼痛という「症状」に「精神交互作用」(注意するほど感覚が鋭敏になるという精神過程)によって「とらわれ」、それを「はからう」ことを試みては「気分本位」の生活から脱することができず、「不安障害」の一種である「パニック障害」の症状に苦しんでいたのであろう。それが、教会の人に親身に話を聴いて貰うことによって転機を迎える。精神科医中井久夫は、名著『治療文化論』(岩波書店、2001年)において、精神病発病時においてその人の予後を決定する最大の要因は、「なんでも話せる友人が一人いるかいないか」ということではないかと指摘している(p.129)。この人の場合、教会の人が「なんでも話せる友人」の役目を果たしたのであろう。
 規則正しい生活リズムの中で教会の御用をすることが「作業療法」の代わりになり、症状を悪化させる「安全行動」(恐れている状況に入るときには、いつも安全策をとるという行動)や「回避行動」(不安のために避けている行動)をやめることになったのであろう。そして、「人をたすけて我が身たすかる」という教えに基づいて、姪の子育てを「お世話」することによって、「気分本位」の生活を脱して「目的本位」の生活を送ることができるようになり、「不安や恐怖」を「あるがまま」に受け止められるようになり、不安神経症が「治癒」したのであろう。
 森田療法の専門医など近くにはいなかったのであろうこの信者が、病の中において直感で一縷の望みを託した天理教の教えが「人をたすけて我が身たすかる」であったことは、重要なことだと思う。「人をたすけて我が身たすかる」とは、天理教に限らず、日本の新宗教、その中でもいわゆる教団組織を作るタイプの新宗教で広く説かれている教えである。従来、森田療法と宗教の関係としては、宇佐晋一と木下勇作が『あるがままの世界―仏教と森田療法―』(東方出版、1987年)や『続あるがままの世界―宗教と森田療法の接点―』(東方出版、1995年)で指摘しているように、仏教、特に禅宗の伝統との類似性が強調される傾向にあった。しかし、新宗教の「人をたすけて我が身たすかる」という教えとの類似性にも注目すべきだと思う。


 そこで自分というものを守りますと、とたんに動きがとれなくなってしまいます。始終、仕事をさがし、そのものにかかわっていらっしゃるということが、さっきのお話しにもありました。皆さんのお世話、ご町内、ご近所のこと、何でも引き受けられまして、責任をもって精いっぱいなさることが一番よろしいです。お世話がよろしいです。その点で、ここの役員さんが他の皆さん方のためにお骨折りくださるという意味も全治そのものといってよろしいですね(宇佐・木下1987、p.88)。


晋一先生(熊田註:宇佐晋一森田療法を専門とする精神科医)は明快にこう語られる。
「本来祈りというのは他人のためにすべきなのです」
 晋一先生に提出する日記(熊田註;森田療法の日記療法)にはよく「一日も早く良くなるように祈っています」と自分のための祈りごとを書く人が多い。これでは治りっこないというのが、晋一先生の強調される点だ。世間的な人情としては全治することを祈願するのはごく当たり前のように思えるが、こと心に関してはこれは逆効果になるというわけだ(同上、p.176)。


 晋一先生がいつも言われているように他人のために尽くすのが人間として最も素晴らしい行為であるわけである。無論、自分への見返りの期待なしにである。もう少し、森田療法の観点から分かりやすく述べると、他人にいくら奉仕してもそれが自分可愛さのためから、出発している限り、全く無駄であろう、さらに言おう、それは自分の心の安心のためにする社会奉仕などは無為の実相とはいえないのである。はたまた、そうとなれば安心を得るばかりか、見返りを期待して却って不安をつのらすだけになる。これをさらにいうと安心を得るためにする、ありとあらゆる計らいが逆に不安をつのらすのと同じことになるではないか(宇佐・木下、1995;pp.179-180)。


 いわゆる「神経症」の治療法として発展してきた森田療法は、不安や恐怖への対処法を示すことで、心のストレスに対する問題を解決してきました。森田療法の根底には、不自然な生き方の変換を促そうとする考えがあります。「生き方」の処方箋としてさまざまな悩みを解決できる可能性があります(北西2007;pp.18-19)


 森田療法を施せる専門医の数は少なく、2009年時点で、全国でもわずか42ヶ所の医療機関においてしか行われていない(同上)。このことを考えるとこのように森田療法が適用範囲を広げていく中で、禅宗だけではなく、今後上記の体験談のように森田療法が宗教教団の信仰生活に吸収されていくことが予想される。
 現代日本に広がっている「各自が個性に即した自己実現を追求する」個人主義的な生活スタイルは、群居性動物である人間にとっては「不自然な生き方」なのであり、宗教教団が説くような「人をたすけたて我が身たすかる」という教えは、人間を本来あるべき姿に戻そうという教えなのかもしれない。逆に言えば、「各自が個性に即した自己実現を追求する」個人主義的な生活スタイルが普及した現代日本の「無縁社会」は、「(森田正馬が言う意味での)神経症(=不安障害)に誰もがなりやすい時代」にあるのかもしれない。
 精神科医の伊藤雅臣は、著書「不安の病」において、不安の病を1.パニック障害、2.社会恐怖(対人恐怖、社会不安障害)、3.強迫性障害、4.疼痛性障害と心気症の四つに大別している(伊藤2009)。そして、「不安の病」に対する治療法として、1.薬物療法、2.認知行動療法、3.森田療法の三つを挙げている。
 この天理教信者の場合のように、人によっては、抗不安薬抗うつ薬SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の投与を中心とした現代日本精神科医療における薬物療法よりも、こうした「人をたすけて我が身たすかる」という宗教教団の信仰指導の方がより効果があるのであろう。抗うつ薬SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)によって「不安」を鎮めるという「不安の病」に対する治療法は、あくまで対症療法であって、根本療法ではないのであろう。不安障害に対するSSRI治療は、患者が「人間が向き合うべき主体的な生き方の探求を回避するようになる」(島薗2009)ようにする危険を孕んでいると思う。


<参考文献>
伊藤雅臣『不安の病』星和書店、2009年
宇佐晋一・木下勇作『あるがままの世界―仏教と森田療法―』東方出版、1987年
宇佐晋一・木下勇作『続あるがままの世界―宗教と森田療法の接点―』東方出版、1995年
北西憲二(監修)『森田療法のすべてがわかる本』講談社、2007年
島薗進「慎重論の論拠を求めて―エンハンスメント論争と抗うつ薬―」『日本学報』28号、大阪大学、2009年
中井久夫『治療文化論』岩波書店、2001年