転換性障害の信仰治療-天理教の事例から-

 転換性障害(昔でいうヒステリー)は、依存症(使用障害)と同じで、基本的には薬物療法が効かないので、現代の精神科医には敬遠されがちだそうです。治療法は、環境調整と心理療法しかありません。下記の逸話のように、教祖が信者を直接呼び出して、「親神様は人間が陽気暮らしをするのを見てともに楽しみたいと思い、人間を創造した」という天理教創造神話を聞かせるだけで、転換性障害が治癒することは、現実にあったのだと思います。教祖が「あたりの建具がピリピリと震動した程」の大声であったことは、「言語的治療はなく、音声的治療があるだけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こさせます。

 

一六七 人救(たす)けたら

 

 加見兵四郎(後の天理教東海大教会初代会長-熊田注)は、明治一八年九月一日、当時一三才の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年一〇月七日から、兵四郎もまた目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日、妻つねに申し付けて、おぢば天理教の聖地-熊田注)へ代参させた。教祖(おやさま)は、

「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で押さえているのやで。そのなあ、押さえているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」

と、仰せになり、つづいて、

「人言伝て(づて)は、人言伝て。人頼みは人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う、狂うた話した分(ぶ)にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」

と、お諭し下された。つねが家にもどって、この話を伝えると、兵四郎は、「成る程、その通りや。」と、心から感激して、三日朝、笠間から四里の道を、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰って来た。教祖は、先ず、

「さあゝ」

と仰せあり、それから約二時間にわたって、元初まりのお話(天理教創世神話-熊田注)をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと震動した程であった。そのお言葉がすむや否や、ハッと思うと、目はいつとなく、何(な)んとなしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女きみの目も鮮やかにご守護頂いていた。

 しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時頃までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治一九年正月に、又、おぢばに帰って、お伺い願うと、

「それはなあ、手引きがすんでためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上(健康状態-熊田注)は鮮やかやで。」

とのお諭しを頂いた。よって、その後(のち)、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救け頂いた(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』1976年、pp.277-279)。

 

 突然失明して、突然視力を回復していることから判断して、この父娘の眼病は、心因性、現代の精神医学でいう「転換性障害」(昔はヒステリーといった)であろう。教祖も、心因性だと判断したからこそ、「神様は一寸指で押さえているのやで」と教理の「諭し」だけで回復すると判断したのだろう。ただし、兵四郎の場合は、回復後も少し症状が残っているので、他の疾患、例えば白内障を併発していた可能性はある。

   「ためしというは、人救けたら我が身救かると言う。我が身思うてはならん」という諭しは、教祖が「救かりたい」から「救けたい」への姿勢の転換には、現代の認知行動療法に相当する治療効果があることを、経験的によく知っていたから出てきたものであろう。