二者関係と「共有」

(前略)言語化に次いで治療を促進する契機が「共有」なんですね。この共有の人数は多いほうがいいというのがポイントです。 
 ここに個人精神療法の限界があります。個人精神療法だと、ほとんど自動的に二者関係の権力構造のなかの共有になってしまいます。この共有はおそらく「共有」とは呼べないものなのです。これはオープン・ダイアローグで初めて経験したことで、臨床家として新鮮な驚きと感動を経験しました。同時に、二者ではどうしても共有に至りえないということが、個人的にははっきりわかったつもりです(討議「斎藤環×村上靖彦」『現代思想』2016年9月号、p36)。


*私は、精神科クリニックからAAの体験談活動に移動して、すぐわかりましたけれどね。