身体化という防衛機制

(前略)西欧人が腹部には特に注意を向けないのを教わったのはこの本(熊田註;大貫恵美子『日本人の病気観ー象徴人類学的考察』)で、本が出てから土居健郎先生とお会いしたときに話題にすると、さすが即座に「彼等は身体は精神に比べて悪魔に近いと観念しているからな。習慣がこどもの時からついているんだ。だから理論でも、「身体化」という機制を低級とみるが、ありゃ間違いでね。むしろ高級な機制で、治癒性も高いね」と明快だった(文責・中井)。因みに「身体化」とは、精神の葛藤や混乱が身体の症状に出口を見出すことである。精神分析でいう防衛機制の一つで、上等の部類ではないとされている(最高は「昇華」ついで「内面化」。しかし昇華の危険な面を指摘したのは一九三〇年代のサリヴァンが最初である。代償性の満足だから充足して追求を止めることがなく、パラノイア的な煩わしい大義の人になったりするという、もっともな、そこここでよく見る事態の指摘である)(中井久夫『私の「本の世界」』ちくま学芸文庫、2013年、pp.124-125)。


金光教の渡辺順一氏のいう、日本の民衆宗教における代受苦的救済が連想されます。宗教者の身体性という問題は、まだ軽視されていると思います。