境界例の治療
そしてそれがいくらかでも本人の中になごみを作っていくようになれば、そういう助言を返す助言者としてボクとの間の絆、これは温かい満足するような絆ではないけれど、「人間はみんな悲しいんだよ」とかいうような、悲しみを共有するもの同士の絆というものに置き換えていく形で、境界例の人たちが安定していく。その意味で境界例というのはまあ、現代のわれわれのもつ絆のはかなさというものが、見えすぎている人なのかもしれないね。
今後だんだんそういう人が増えていくだろうと思います。皆さんの中にもそういう気持ちがいくらかでもあるだろうし、また、あってほしい。そういうのがあると、「ああ、この人も私と同じものを、ただ私より一〇倍近く持っているだけだなあ」とそ人の気持ちが分かります。臨床家というのは、自分と相手との違うところが見えるよりも、似たようなところが見えるほうが治療にもいいんです。そのほうがアイディアが湧きやすい。
たとえば下痢をしている場合でも、よく下痢するお医者さんだと、「下痢する前にお腹痛い?」と自分の経験から質問する。吉田兼好が徒然草の中で、「病気をしたことがない人を友だちにするな」と書いています。「元気な人は無慈悲で、人の不幸がようわからん。心の中の痛みがわからん」と言っています(神田橋條治『医学部講義』創元社、2013年、p28)。
*傾聴に値する意見だと思います。