「分かる」ことと「分かつ」こと

 他者の苦しみを「分かる」ということは、苦しみを「分かつ」という本来は心身一如の営みなのでしょう。本来は心身一如の営みであるものを、西欧出自の学問である近代宗教学は、1.おそらくは古代の奴隷制に由来する強固な心身二元論、2.キリスト教に由来する「精神は神に近いもの、身体は悪魔に近いもの」と位置づける発想、を通じて理解したことによって、結果的に「救い」における「宗教者の身体性」という問題を軽視してきたのでしょう。