「かしもの・かりもの」の理と小作制

心身二元論が言葉の発生以来、あるいは意識の発生の時代にさかのぼるか否かは思弁にゆずるとすれば、その明確な出現は奴隷制と密接な関係にあるだろう。ある挿話を思い出す。アメリカ黒人の奴隷が大雨にあって帽子を身体でおおった。人がいぶかると、彼はこう答えたという、「身体はご主人様のものだが、帽子は俺のものだからね」。これは二千年前、確実に奴隷出身であるエピクーロスの哲学に類比的である。以来、心身二元論はヨーロッパ哲学に亡霊のごとくつきまとった(中井久夫「西欧精神医学背景史」『分裂病と人類』東京大学出版会、1982年、p.176)。
―どうも、心身二元論とか心身症という時の「心」と「こころ」は随分ちがうようだ。われわれには、身体に対立する一つの「もの」(というか「こと」―事態―というか)を指すことばがなさそうである(中井久夫『精神科治療の覚書』日本評論社、1982年、p.242)。
―「からだはかりもの、こころ一つわがもの」(天理教


天理教の「かしもの・かりもの」の理の出現は、おそらく小作制と密接な関係にあるのでしょう。