人を助けて我が身たすかるー森田療法との関連においてー

 そこで自分というものを守りますと、とたんに動きがとれなくなってしまいます。始終、仕事をさがし、そのものにかかわっていらっしゃるということが、さっきのお話しにもありました。皆さんのお世話、ご町内、ご近所のこと、何でも引き受けられまして、責任をもって精いっぱいなさることが一番よろしいです。お世話がよろしいです。その点で、ここの役員さんが他の皆さん方のためにお骨折りくださるという意味も全治そのものといってよろしいですね(宇佐晋一・木下勇作「あるがままの世界ー仏教と森田療法ー」東方出版、1987年、p.88)。


 晋一先生(熊田註:宇佐晋一森田療法を専門とする精神科医)は明快にこう語られる。
「本来祈りというのは他人のためにすべきなのです」
 晋一先生に提出する日記(熊田註;森田療法の日記療法)にはよく「一日も早く良くなるように祈っています」と自分のための祈りごとを書く人が多い。これでは治りっこないというのが、晋一先生の強調される点だ。世間的な人情としては全治することを祈願するのはごく当たり前のように思えるが、こと心に関してはこれは逆効果になるというわけだ(同上、p.176)。


 晋一先生がいつも言われているように他人のために尽くすのが人間として最も素晴らしい行為であるわけである。無論、自分への見返りの期待なしにである。もう少し、森田療法の観点から分かりやすく述べると、他人にいくら奉仕してもそれが自分可愛さのためから、出発している限り、全く無駄であろう、さらに言おう、それは自分の心の安心のためにする社会奉仕などは無為の実相とはいえないのである。
 はたまた、そうとなれば安心を得るばかりか、見返りを期待して却って不安をつのらすだけになる。これをさらにいうと安心を得るためにする、ありとあらゆる計らいが逆に不安をつのらすのと同じことになるではないか(宇佐晋一・木下勇作『続あるがままの世界ー宗教と森田療法の接点ー』東方出版、1995年、pp.179-180)