「こころのケア」とは何か

 もちろん、「こころのケア」が」一般障害者を除外するというのは狭い見方であろう。しかし、「こころのケア」概念を通過した後に新たに見えてきた局面に立たねば意味がないだろう。すなわち―。
 第一には、基本的に「こころのケア」概念は予防的であること、あるいは先取り的であることである。実際に、災害後であるにもかかわらず、私たちが対象としていたのは障害として成立したPTSDではない。それはあってもごくわずかな比率であって、全体として何かができたとすれば、それは予防的姿勢であった。センターがあること自体が予防的意味を持っていたと敢えていいたい。
 第二には、基本的に「こころのケア」は、人々の自主性を重んじるということである。「こころのケアセンター」の公式英訳はDisaster Victim Assistant Programである。このassistanceという言葉に深い含蓄がある。それは、「傍らに」「低い姿勢で」「奉仕し」「支える」という姿勢を表わす言葉である。「こころのケア」は決して「高い立場から」「指導し」「率いる」ものではなかったし、今後もあってはならない。
 第三に、一般精神障害者を対象としても、その病理とは別個に、人間としての苦悩と障害者として生きていく上で、あるいはそれ以前以後の虐待によって生じた「こころの傷」が見えてくるような接し方になるであろうし、その人の主体性と障害の自然治癒力を信頼して、それにassistする姿勢になるはずだし、そうであらなければならないと私は思う(中井久夫「「こころのケア」とは何か」『「伝える」ことと「伝わる」こと』ちくま学芸文庫、2012年(初出2001年)、pp.295-296)。


*宗教家にも、大いに参考になります。