「ヒュブリス」の罪

 おそらく(熊田注;人格障害の治療において医療者が行きづまり状況に入る、ヒューマニズムと似て違う「ヒューマニタリアリズム」、感傷的人間主義と並ぶ)もう一つは、「ヒュブリス」である。これは「傲慢」「おごり」と訳される『聖書』のことばである。危険なのは、「人間を変えるほどおもしろいことはない」からである。この誘惑に屈しないことが大事である。
 「患者が変わる」のであって、医療者が患者を変えるのではない。医療者は「患者が変わる際の変化を円滑にし方向の発見を助ける触媒」、できるならばあまり害のない「よき触媒」であろうと願うのがゆるされる限度であると筆者は思う。フロイト精神分析の設計は、この触媒の範囲をでないようにうまくできていたと思うが、弟子たちのなかにはそこのわからない人も混じっているようだ(中井久夫人格障害」『看護のための精神医学/第2版』医学書院、2004年、pp.233-234)。


*医療者を宗教者に、例えば天理教なら「ヒュブリス」を「こうまん」に、人格障害の患者を信者に、フロイトを「神がほうきや(心のほこりを)そうじせよ」と言った教祖・中山みきに置き換えても、同じことが言えそうです。