「心を見る」能力について

 人格障害では意識的にコントロールをはずしているか、あるいはコントロールが自分の意識の自由にならないことが多い。
 コントロールのあるなしの問題は、「自分をモニターしている自分があるか」「自分の言動を見ている自分があるか」と表裏一体である。これに「イエス」と答える患者は神経症水準で、「はっきりしない」「ない」「わからない」と答える患者は精神病水準であるといえそうである。「いまははっきりしない」と、以前と比較できる患者もいる。同じきまぐれな行動であっても、「わかってやっているか」「結果としてそう見えるだけであるか」の違いということになる。
 ただ、重症の神経症患者は「ノー」と答えることが多い。こういう患者は、必ずといっていいほど重い睡眠障害がある(薬でよくなることもあり、がんこなこともある)。神経症が「床を踏み抜いて精神病水準に落ちる」のは、睡眠障害が始まったときかもしれない。
(中略)
(前略)しかし、人格障害が自己をモニターしコントロールするようになるのは、むつかしいができないわけではない(中井久夫山口直彦『看護のための精神医学/第2版』医学書院、2004年、pp.175-176)。


*一部の「新新宗教」が「心を見る」ことの重要性を強調するのは、神経症水準の人格障害の信者さんに対する対策でしょう。