境界例の治療

 今いったこともそうですが、境界例の治療で、ボクはいつも「あなたは周りとセンスが合わんのよ。もう諦めんね。周りの世界とは嘘のつながりにして、自分のほんとの世界というものを内側に作っていくようにしたらどう?あちこち行っても、なかなかわかってくれる人はおらんがね」というようなことを言うようにしています。
(中略)
 そしてそれがいくらかでも本人の中になごみを作ってくるようになれば、そういう助言を返す助言者としてのボクとの間の絆、これは温かい満足するような絆ではないけれど、「人間はみな悲しいんだよ」とかいうような、悲しみを共有する者同士の絆というものに置き換えていく形で、境界例の人が安定していく。その意味で、境界例というものはまあ、現代のわれわれの持つ絆のはかなさというものが、見えすぎている人かもしれないね。
(後略)
〔二〇一三年追想
 最近のボクは「境界例」というラベルを使わなくなった。これまでの「厄介な人々」を、「発達障害」「軽症の双極性感情障害」「医原病」あるいはその三つの複合状態と診断するようになった。すべて、治療方針を内包する診断ラベルであり、これで診療がしやすくなっている(神田橋條治「診断者の感性」『神田橋條治/医学部講義』創元社、2013年(初出2000年)、pp.27-29)。


*参考になる意見です。