克服ではなく活用

神田橋 自分の体調に対する過敏性が、外部まで投影されるようになったことによって、共感性というものに発展したんじゃないかな。
岩永・愛甲・藤家・浅井 はああああ。
神田橋 そうすると今度は、能力というものが一つグレードアップして使えるようになる。そして自分の身体に対する感受性が自在性を帯びてくるんだ。そのときの意思で、感じることも無視することもできるようになる。自在性が出てくるんです。それはちょっと置いておこうか、とか。
(中略)
神田橋 それがもっと発展して、人のコンディションをキャッチするという方向に行かされると、持っている自分の感性がより道具化するというか、自分のコントロール下におけるようになります。(中略)
 僕はすべてに関して「克服」というのは嫌いなの。全部「活用」と考える(神田橋條治(他 )『発達障害は治りますか?』花風社、2010年、pp.120-121)。


*日本の新宗教でよくいう「人たすけたら我が身たすかる」ということは、こうした「克服ではなく活用」によるものでしょう。