宗教と精神療法

 (熊田註;ホスピスで)少しでも楽に長く生きてほしいと思って、自分なりに工夫している人がやむなく、ガンとかそういうもので死んでいくわけで、空振りじゃないけれども、捨てられていくような感じになる。「ああ、これでよかった」と思えることはなかなかないわけだよね、実際は。苦しんで死んでいく人も多いから。
 そうすると、今度はそういう環境にいる職業人に対する精神療法をどうするか。外国では宗教がほとんどそのサポーターをやっています。日本はもはや、宗教がそれだけの支える力を持たない社会になっていて、これをどう精神療法で支えるか。
 そのためには、どうしても哲学が入ってくるしかない。生きるとは何か、死ぬとはどういうことなのか、会うとはどういうことか、援助とはどういうことか、ということを考える哲学が精神療法の中に入ってこざるを得ないというのが、現在の精神療法が直面している大きなテーマだと思います(神田橋條治「葛藤を目指す」『神田橋條治/医学部講義』創元社、2013年(初出2011年)、pp.286-287)。


*私は、「日本はもはや、宗教がそれだけの支える力を持たない社会になって」いるとは思いません。