ちょっと死んでみる
もちろんインスタントには抗精神病薬を飲ませて、考えることができないようにする手があるんですけれど、しかしそれは緊急避難のやり方だよね。それで思ったのはね、仕事「一途」というのがいかんのだろうということ。
そうするとどうしたらいいのか。そこで、「仕事に行かにゃならん」という考えの中に、「生活のためには」とか、「これも仕方がない。生きていくためには、家族のためには」というのを付け加えて考えるように習慣づけるといいと考えたの。
「やっぱりなあ。これが浮き世だなあ」というような、内なる愚痴を入れると、その休むことなき脳の中の迫力が少なくなる。「もうしょうがないよな」と。
この内なる愚痴の中に、「死んだ方がマシだ」と、「生きとっても世の中、しょうがないな」とかいうのもある。それを言うと、「そういうことを考えてはいけません」と言う精神科医がいるんだね。もっとひどい人は「そういうことは言ってはいけません」とか言う。これは「黙って死ね」ということになると思って、ボクはそこから「ちょっと死んでみる」ということを考えたの。
寝転んで、「あ、死んだ、死んだ」とか、「死んじゃった」とか言いながら、「ちょっと死んでみる」ということをやると、とても安らかになるんです。これはボクが本に書いていますが、治療法と言うよりも、「死んでみる」ということをやるととても安らかになるんです。
そうすると、どういうことになるか。「あなたが『死にたい』と言っていたのは、本当は『安らぎたい』ということの言葉の使い方の問題だったんでしょうね」と、「ともかく、安らかになりたい。安らかになることの究極は死ぬことだというので、『死にたい』と感じていたのよね」とそこから安らぐ方法について考える。安らぐ方法を工夫するというふうに行くわけです。
そして安らぐ方法を工夫する活動が有意義な活動で、自分の狭い価値観の世界が広がった人はかなり職場復帰が可能なんですよね(神田橋條治「うつ病の精神療法」『神田橋條治/医学部講義』創元社、2013年(初出2010年)、pp.263-264)。
*「ちょっと死んでみる」というのは面白い発想だと思います。しかし、これは心理療法(「認知行動療法」)というよりも、宗教の修行法に近いように思います。