アルコール依存症・DV・「恥」の感覚

 (熊田註;慢性アルコール依存症の)治療の原則を、私は次のように考えている。
(一)恥をかかせないこと。患者は一般に辱めに敏感であると同時に、傷口に塩をすりこむように自虐的に恥にまみれることを求める。実際、家族とのそういうやりとりの果てに医者に来たのである。医者が傷口に塩をすりこまずそっといたわってくれることを、患者は敏感に感じとり、ひそかに感謝する。
(中略)
(一〇)(前略)家庭では夫婦関係が第一義の重要性を持つ。「あんたってダメね」と切って捨てる妻がそれが何ごとについてであれ、患者は実際に去勢されるような苦痛を味わう。逆に、あくまで貞淑な妻も、患者に「道徳的敗北感」をその都度味わわせ、妻の仮面をひんむいてやりたい衝動を覚えさせる。(後略)
一九八二年追記
 こう書いてくると家庭内暴力アルコール中毒と似ていることに思い至る。第一に、ともに、最初の行為には意味があることが多いが、どちらも次第に、いかなる種類のいかに些細な欲求不満も飲酒へと暴力へと走らせる。母ないし妻の去勢的態度(熊田註;「あんたってダメね」)と忍従的態度(熊田註;「あくまで貞淑」、夫に「道徳的敗北感」を味わわせる)の併存が悪化因子であることも似ている。そして、慢性化してから医師を訪れる。恥を中心に病理がめぐることも似ている。どちらも内面的になることがほんとうはあまり上手でなく、言語表現も一本調子でうまくない。自分の身体にせよ、母や妻にせよ、貴重なものを破壊する倒錯的快感という蟻地獄に陥りやすい。ともにすぐ「追い詰められた」と感じる(中井久夫「慢性アルコール中毒症への一接近法(要約)、追記」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1977年)、pp.126-132)。


*この文章が書かれた1982年には、まだ夫による妻に対するDV(Domestic Violence)と息子による母に対する家庭内暴力とが明確には区別されていませんでした。また、バタラーの夫のほとんどは、そもそも精神科を訪ねません。しかし、「恥を中心に病理がめぐる」という洞察は正しいと思います。精神科医高岡健氏の「誇りの持てない戦争(ex.ベトナム戦争)の場合、帰還兵のPTSDは悪化しやすい」という指摘が想起されます。私はDVは犯罪として必ず処罰されるべきだと考えていますが、日本の新宗教がしばしば説く「夫を立てよ(夫に下がれ)」という指導も、妻が内心「あんたってダメね」と思っていなければ、とりあえず応急処置的な効果を上げることもあるのでしょう。